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88.【東京広島物語⑧】勝手に腑に落ちることはありません。 道端に腑が落ちていることもありません。

いろいろ考えて、不安になる。これらを乗り越えられる日は来るのだろうか……。

当時書いていた日記に、広島生活三日目のことが記されていました。

この続き。
いよいよ広島に異動した直後のお話です。

始まった広島生活

さて、広島に来た僕はまず、観光に行きました(笑)

まあまずは、宮島でしょう。

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鹿を見て、奈良を思い出しました。
でも奈良公園の鹿ほど気性は荒くありませんでした。

有名な、厳島神社の鳥居。
滋賀にも同じように水の上に浮かぶ鳥居を見ることができますが、潮の満ち引きで足元まで近づけるのは他にはありません。

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また、広島城にも行きました。
原爆ドームにも、足を運びました。
広島に住んでいたときほど、戦争や原爆について考えたことはありませんでした。
街中がそれを感じ、考える空気感なのです。

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文化的に、歴史的に、そうなのでしょう。
とても学びと気付きの深い経験でした。
住んでみてわかること、やっぱり本当にたくさんあります。

仕事後の時間の使い方

さて、観光は終わりました。
そんなしょっちゅう行くような場所でもありません。

そうすると、仕事以外の時間が余ってしまいます。

平日。どこかへ出かけることもなく。
休日のように東京へ行くこともない。

ほとんどの時間を読書に充てました。

仕事が終わるのが18時過ぎ。
21時ぐらいまで、会社近くのマクドで本を読んだり、書いたり、いろいろやっていました。

職場では、年上の妻子持ちの先輩が3名。
特に何もなく、暇を持て余している独り身は僕だけという状態でした。

一人の時間は嫌いではありません。

広島も、程よく都会で、程よく田舎。
とても住みやすい都市でした。

好きな読書もできました。
ゲームも、アニメも、時間がありました。

思った以上の不満がありませんでした。

現状維持。
良いけれど、悪くない。
土日に学んだ言葉が蘇ります。

「”悪くない”と”最高”は違う」

そりゃそうだ、という話なのですが、じっくりその言葉を咀嚼すると、やっぱそうだよなぁ、となるのです。(よくわからん。)

つまり、いつまでもこの生活を過ごすのは、良いんだけれと、自分的にどうなのかなと思ったわけです。
困っていたことを強いて言うなら、ずっと一人だったことでしょうか。

何かを変えるには、仕事後の時間と、仕事以外の時間の使い方。
読書を続けているうちに、あることに気付きます。

土日に学んでいることと、同じことが書いている、と。

学んだ先に何があるのか、自分がどうなっていくのか、まだまだよくわからなかった時期でした。
不安はありました。謎なことも多かったです。意味がわかるかといえばそうでもなく、なぜ、なぜ、とよく思っていました。

でも、聞いている話、学ぶこと、これは間違っていない、と思いました。

当時は特に極端なことを思っていたものですが、例えこの先が成功へ向かう道だったとしても、破滅へと向かう道だったとしても、今やっていることは間違ってはいない、ということは自分の中でわかりました。
わからないことは多かったけれど、それだけは腑に落ちました。

本読んできてよかった。

自分で自分の腑に落とすこと。
このときから、とても大切にしていることです。

「お!きたきた、落ちてきたぞ」
と勝手に腑に落ちることはありません。
道端に腑が落ちていることもありません。

なんとなく生きていたら、納得しましたというのはないです。
普通にお話聞いていたら、急に腑に落ちたりもしないです。

自分で自分に腑に落とすこと。(2回目)

本当に大切だな、と思います。

そこに気づくまで、2ヶ月間かかりました。
何もしていないような日々が過ぎていたはずなのに、時は一瞬で過ぎ去っていました。

その辺から、僕の広島生活の意識が少しずつ変化してきました。

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