128.不安と期待は同じ大きさ、とは言うけれど。

日々チャレンジしていると、不安なことはたくさんあります。
一生懸命になればなるほど、不安に駆られることがあります。

不安を感じる、ということは一生懸命な証拠なのかもしれません。

このままでいいのかな、これでいいのかな、この先どうなるのかな。

様々な形の不安が、なんとなく靄のように心の周りに広がって、なんだか視界が悪くなるような感覚に陥ることだってあります。

不安は期待している証拠だよ、と言われたことがあります。

本当かよ、と思っていました。

期待なんてどこにあるんだよ、と思いました。

「大統領になってくださいって言われて、不安になる?」

ただ、そう問われて、ん?と思いました。
何を言っているんだろう……。

「プロ野球選手になろう!って言って、不安を覚える?」

野球は14年間続けましたが、もう大学で引退した身です。
今更、不安になるはずもありません。

「どう考えてもなれないもの、なりたいと思わないものには、不安を感じないよね」

なんてこった、と思いました。

その通りでした。

不安を覚えるのは、先述した通りこうなれるかな、こんなことができるかなという思いが大きかったのです。

「うわー、ほんとに大統領になれるのかな、僕……」
みたいな不安は感じたことがありません。

不安なのは、期待している証拠。

なんだか意味が違って聞こえました。

期待しているから、なれるかもしれない、できるかもしれないと、心のどこかで思っているから、不安を感じるんだと。

大きな不安の裏には、大きな期待が隠れています。

だから、不安は覚えていいのです。
むしろいい兆候なのです。

そう考えると、ほんの少し、挑戦の一歩が軽くなりました。

でも、本当に一歩動いているんだとすれば。

期待の方が、僅かでも大きいと思うんですよね。

期待:不安が51:49だっただけなのです。

もし、足を動かしているのなら。
悩んでいるのなら。
必死で考えているのなら。

それは、あなた自身の期待を表しているんじゃないですか、と思うようになったのです。

不安と期待は同じ大きさ、とは言うけれど。

期待の方が、ほんの僅かに大きいんじゃないでしょうか?

僕自身も、大きなチャレンジの決断をしたときのことを、今でも覚えています。

大きな不安を抱えながらも、その裏にある期待の部分になんとか耳を傾ける。

そうすると、自分と、自分以上に自分に期待していくれている人たちが見えてくる。

ほら。

さあ。

一人じゃないよ、って。

そうやって、僕は一歩ずつ、進んでいました。
そして今も、そうやって進んでいます。

不安と仲良くなればいいのです。
ようこそ、みたいな。
待ってました、みたいな。

そうできれば、また人生がちょっとだけ面白くなりそうですね。

僕も常に、挑戦を続けます。

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