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幼年期

私は生粋の田舎者だ。
地元で生まれ育った両親の元に
大雪の日の昼過ぎに生まれた。

手も足もある
至って健康な赤ん坊。

狭いアパートで撮られた当時の家族写真には、
おくるみに包まれた私が3歳の兄にぎこちなく
大切に抱かれて写っている。

多分、ごく普通の田舎の、ちょい貧乏な家庭、だと思う。

3歳のとき。
父が仕事の都合で一人、海外赴任となった。

アパートに残された36歳の母・小1の兄・私の3人の生活が始まる。
早速私は原因不明のアトピーを発症。
(苦い漢方や気持ち悪い塗り薬でとにかく泣いた記憶がある)

当時はアトピーの情報も全くない状態で
「大人になったら治るよ」
母の必死の言葉も、私にとっては呪いの言葉だった。


兄は、恐らく学習能力に関してグレーだった。
(当時「グレーゾーン」はまだ認知されていない時代)
学校からテストを返却される度、
担任からも母からもひどく叱られ怒られ、泣いていた。
今思うと小学1年生からそれはどう考えてもキツイ。

ついでに言うと、兄が小3のとき
成績が悪すぎて母がヒステリックを起こした出来事は
兄も私もトラウマ的に覚えている。

・・・先の尖ったピンセットを左腕に立てて「死んでやる!」と叫ぶ母。
(それで死ねるわけないのだが)兄も私もパニックだった。
兄はひたすら泣きながら謝っていた。
今の時代で言うと完全にメンヘラ毒親。
兄はきっと学校でもいじめられていた。

・・・そんなこと、父は知らないし、話題に出たことがない。
(なんなら現在、兄と父の関係はあまりスムーズではない)


私は5歳になったとき、ピアノを習い始めた。
幼稚園の先生が引くピアノが大好きで、憧れて始めた。
当時は「幼稚園の先生になりたい」とか「ピアニストになりたい」、云々。ピアノ教室に通わせてくれた両親には今でも感謝している。

あとは、、
厚紙をチューリップの形に切り取った栞を作るのが好きだったとか、
父が買ってきた海外土産のキラキラのビジュー付きサンダルをたいへん気に入り、足のサイズが合わなくなっても履き続けていた結果、外反母趾になった…とか。笑

このときの父に関する記憶は、父がレアキャラ過ぎて薄いんだよな。
帰国の度に寂しさで大泣きしていたらしいけど。

・・・とここまで書いて気が付いたけど(分かってたけど)、
私は自分のことを人にさらけ出すのが非常に苦手だ。
気持ちや言葉だけじゃなく、
自分そのものをさらけ出すことが「面倒くさい」みたいだ。。なぜだ。

自分に向き合うのが面倒くさいのかも。まぁいいや。

はい。次は少年期。頑張って書きます。

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