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ドロドロの嫉妬と、空っぽの絶望と、わずかばかりの希望と

読後、私の中に二つの感情が生まれていた。
ひとつは、「積極的に『楽観』していこうぜ」という心がたぎるような思い。
もうひとつは、「岸田家のような家族が欲しかった。自分の家族はどうしても好きになれない」という、嫉妬と憎悪の混じった、ドロドロした思い。
今もこの二つの気持ちは私の中にいるし、何なら後者のほうが割合が高い。なので、楽しい感想文は書けそうにない。
代わりに、複雑な読後感を持った理由を、そのまま記録しておこうと思う。

感動もしたし、嫉妬もした

最も感情を揺さぶられたのは、p.52からp.62まで綴られている「母に『死んでもいいよ』と言った日」だ。
まず、感動した点。奈美さんがお母さんに語りかけた言葉だ。

「ママ、死にたいなら、死んでもいいよ」
 母はびっくりしたように、わたしを見る。
「死ぬよりつらい思いしてるん、わたしは知ってる」
 母を追いつめたのは、手術同意書にサインしたのはわたしだ。わたしが母の死にたいという気持ちを、否定してはだめだ。

強い人だな、と思った。
家族の「死にたい」という気持ちを前にして、否定してはダメだ、と考えられる。当時高校1年生の女の子が、である。
私は、元上司から「死にたい」とLINEで言われた時、「死んではダメ」と反射的に返してしまった。それを今でも後悔している。身近な人の「死にたい」気持ちに向き合うのは怖いし、勇気のいることなのだ。
一方で、嫉妬というか、憎悪みたいな、ドロドロした感情も生まれた。私自身は「死にたい」という気持ちを誰かに受け止めてもらえただろうか、と。
大学3年生くらいの頃だったと思う。私は母と、当時付き合っていた恋人に「死にたい」と訴えたことがある。
当時、とある委員会に所属していて、大学の体育大会の運営をする、という活動していた。大学2年生の頃から所属し、3年に進学して、事務方のトップという立場だった。
ところが、その委員会自体が実は非公認で、先輩からはロクに引継ぎもされず、学生課からは書類や手続きに不備があると、毎日のように詰められていた。同じ委員会に所属していた同級生たちも似たような状況で、何も分からないまま手探りで活動していた。
更に、当時は学習塾で受付事務のアルバイトもしていたのだが、先輩社員が退職し、同じ事務の先輩が誰もいない状態。週1か週2で来ると言っていた、別の教室からの事務社員は全く来ていなかった。アルバイト先でも、何も分からない状態のまま、手探りで仕事していた。
大学でもアルバイト先でも不安を抱えていた私は、ある日、限界を迎え、両方辞めることになった。そして、母と恋人に「死にたい」と打ち明ける。
けれど、母も恋人も、私の「死にたい」は受け止めてもらえなかった。二人に「悲しませるようなこと言わないで」と言われてしまった。
他人に「死にたい」と言われた今なら、分かる。「死にたい」という気持ちを受け止めるのは難しい。それに、つらい気持ちそのものを受け止めてもらえなかったわけではない。心配した母と恋人と一緒に、精神科にも行った。「ストレスの原因を取り除いたほうがいい」と言われ、大学の委員会もアルバイトも辞めることになったのだから。
けれど、涙ぐみながら当時の話を書いてしまうくらいには、「死にたい」気持ちは宙ぶらりんのままだ。

「深い悲しみと憤りのにじんだ感想のメール」を私も送ってしまっていたかもしれない

あとがきで気になる一文を見つけた。

 ごくわずかだけど、深い悲しみと憤りがにじんだ感想のメールが届いて、心にとげみたいなものが刺さり、文章を書くことが怖くなったこともある。

私はメールを送った張本人でもなければ、送り主の友人でもない。ましてや、送り主の状況など知る由もない。
だが、このようなメールを送ってしまった送り主の気持ちが、少し分かる。状況を知らないから、「少し分かる」だけだが。
家族に問題を抱えている人にとって、岸田家の絆の深さはうらやましく感じる。そして、問題が深刻であればあるほど「障害者の家族がいて、こんなに明るく過ごせるわけないだろ」という怒りに変わってしまうのかもしれない。
送り主の気持ちが「少しだけ分かる」と書いた理由は、私の家庭環境にある。
私の叔父も、障害者である。といっても、双極性障害だが。
つい数年前まで、双極性障害の叔父を父が養っていた。症状は年々悪化していて、躁状態の時は無計画に何百万単位の買い物をする、鬱状態の時は自室から一歩も外に出られない、という状態だった。また、叔父は私たちの自宅から徒歩30秒の場所に住んでいたため、毎日のように夕食を食べに来ていた。
当然のことながら、家の中は毎日ピリピリしていた。
さらに、祖母は人への依存が強い性格で、母に毎日のように用事を言いつける。叔父に関しては「病気なんだから仕方ない」と家族に我慢を強いる。
双極性障害の叔父にビクビクしながら、「お嬢様」の祖母の世話をしなければならない状態。残念ながら、両親は私と弟にかまけている暇がなかった。
こういった家庭環境のせいか、家族を題材にした作品には複雑な感情を抱く。うらやましくなるし、下手をすると怒りも湧いてくる。
ふとした瞬間に、自分が「根無草」のようだと感じることがあるが、家族に私自身を肯定してもらった経験がないからだ。本当はあるのかもしれないが、思い出せない。母は比較的優しかったが、父は厳しかった。父の方針で、好きではない習い事を、8年間やらされていた。
つまりは、両親からの愛情を感じられる体験がほとんどなかった。皆無といってもいいくらいに。
唯一楽しかったのは、母や弟と一緒に、出かけまくっていたこと。
ディズニーリゾートを始め、国立科学博物館やら、サンシャイン水族館やら、ありとあらゆるレジャー施設や博物館に足を運んだ。毎回ではないが、父もいた。
楽しかったのは間違いないのに、何故だか私の自己肯定感を強くしてはくれない。
話がまとまらなくなってきたので、ここで区切ろう。
送り主の気持ちが「少し分かる」と言ったのは、以上のような理由からだ。
ただ、送り主を全面的に応援する、奈美さんは間違っている、と言いたいわけではない。
送り主は表現の仕方が適切でなかったのだと思う。「深い悲しみと憤りをぶつける」のではなく、「私の思いを聞いてほしい」と書いていれば、違った結果になっていたのかもしれない。

呪いのメールを送らずに済んだのは、信頼できる書き手だと感じたから

私は、奈美さんのように、自分の暗部を面白く語るのは難しいと感じた。
34歳になった今でも、子ども時代の悲しみも、大学生時代の苦しさも癒されていないと感じるからだ。
カウンセリングを定期的に受けてはいるが、そもそも自分の「土台」が脆弱だと気づいた今、過去の傷を癒すのはかなり時間がかかると思っている。
さて、本題に入ろう。
本著を読んで、暗い気持ちが生まれてしまったにも関わらず、呪いのメールを送らずに済んでいるのは、奈美さんを信頼できる書き手だと感じたからだ。p.41のとある文章を読み、それを感じた。

 みんなが当たり前にできることが、できない。
 守るべきルールが守れない。
 どうにかがんばってみても、失敗ばかり。
 ああ、わたしは、他人に迷惑をかけるために生まれてきた非常識人間だ。
 そんなコンプレックスとともに、ずっと、生きづらさを感じていた。

読んだ瞬間、「ああ、この人も普通の人間なんだ」と思った。
そして、私と同じような悩みを抱えているのだと、安心した。
大変失礼ながら、ここを読むまで「わたしは悩みなんて感じたことない」とのたまうポジティブの塊のような人だと思っていた。
人間らしい一面を見られて、親近感が湧いたし、嬉しくなった。

奈美さんに聞きたいこと

あとがきに書かれていたことで、私自身が疑問に思ったことを、最後にぶつけてみたい。

 じゃあ、どうすれば、自分のことを好きになれるんだろうか。ぼんやりと悩みつづけて、いろんな人と話し、いろんな本を読んで、浮かび上がった答えは「好きな自分でいられる人との関係性だけを、大切にしていく」だった。

とても素晴らしい答えだと思う。でも、私は疑問に思った。
「好きな自分でいられる人との関係性」が周りにない場合、何をすればいいのか。
家族がそういった関係性でない場合、どこに探しに行けばいいのか。
今の私は、その答えを持ち合わせていない。
もし、何かしらの答えがあるなら、今すぐでなくていいから、聞いてみたいと思います。

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