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とある二人のお話(第二章)

第二章

自分の寮に、新しく日本人が来るらしい。
留学期間も折り返しを過ぎた風花のところに、3月のある日そんな連絡が飛び込んできた。部屋で一人黙々と勉強していた風花は、驚きと喜びで思わず手を叩いた。

風花はとある東京の大学の学部3年生だ。
交換留学でイギリスに来て、マンチェスター大学で言語学の勉強を続けていた。
学業成績は教授陣から学科一と太鼓判を押されるほど優秀だったが、人付き合いは苦手な方。
寮では唯一の日本人ということもあり上手く馴染めていなかった。
だからこそ今回新しく来る日本人学生とは、必ず親睦を深めなければと思っていた。

ピコン、とFacebookの通知音が鳴り、見ると寮のグループチャットにその日本人学生が参加したという内容だった。
すぐに友達申請を送り、メッセンジャーで連絡した。

そこからは展開が早かった。
寮の案内ツアーをしてほしいと言われて待ち合わせ、案内をするところから始まった。
大学に一緒に登校したり、食堂で一緒に食事を取ったり、優斗の趣味のランニングに風花がついて行ったりするうちに、今まで人付き合いに苦労してきた風花にとってはあっけないほど仲良くなった。

特に印象的だったのは、寮のチャペルを案内した時のこと。
室内にはピアノが置いてあり、自由に弾いて良いことになっていた。
ピアノが得意な風花はおもむろに手を伸ばし、ドビュッシーの『月の光』を弾いた。

「えへへ、どうかな…?」
ベンチに座って聴いていたはずの優斗が黙っているので、振り返って見る。
すると優斗は恥ずかしがるように手で顔を覆って背を向けた。
「どうしたの?」
「いや、こんな素敵な場所で綺麗なピアノを聴くと…涙が出るね」
はにかむような笑みを含んだ声で、答えが返ってきた。
「本当に!」
風花は他人が自分のピアノで泣いてくれたということが信じられず、ただ驚いていた。嬉しかった。

「もっと弾いてほしいな、良ければ。何曲でも。」
「もちろん。」
風花は何曲も弾いた。知っている曲の中で一番難しいラヴェルの『水の戯れ』も、ディズニー曲でお気に入りの『A Whole New World』も弾いた。
月の光がチャペルに差し込み輝いていた。
風花にも、そしてもちろん優斗にとっても、神秘的で美しいひと時だった。


それから一週間が経った頃。
コロナウイルスのパンデミックが発生した。

日々のトップニュースをコロナが独占するようになった。
寮長が重々しい口調で、食堂で一斉に食事を取る形式は止めると宣言した。
寮の中がどことなくざわついた。

そして、3月15日。
日本政府からイギリスがレベル3アラートの対象になったとの発表があった。

風花と優斗の大学の規定では、それは留学の即時中止、緊急帰国義務を意味した。

「嘘…だろ……」
優斗にとってはイギリスに来てからたったの二週間。
自分の留学がこのような形で終わることになるとは到底信じられず、優斗はスマートフォンを持つ手を震わせ、いつまでも茫然と立ちすくんでいた。

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