解説:ディアベリ変奏曲 ➈

④ 第31変奏~第33変奏
そっと扉を開けるように始まる第31変奏(a,c,e)、足を踏み入れるとそこには新たな世界が広がっている。この曲の中で最も遅いテンポ設定を持ち、その原型を聴き取ることが困難なほどテーマからは遠く離れていくように感じられる。その複雑さの一つの要因は、比率の変化にあると言えるだろう。前半部分を見てみると、ベートーヴェンはこの変奏における1小節=テーマ4小節分として書き始めている。しかし3小節目から、2/3小節分をテーマ1小節分、さらに5小節目途中からは1/3小節あたりをテーマ1小節としており、テーマ1小節分に対しての比率がその都度変化しているのである。そのため、私たちは不思議な時空間の中に身を置いているような気分になる。左手の淡々とした伴奏の上で、右手のメロディが細かな装飾をたたえながら、非常に自由に奏でられる様は、“バッハの回顧でもあり、ショパンの先駆けでもある”とウーデは述べている。
その旋律に導かれて登場する第32変奏(b,c,f)のフーガで、最初で最後の変ホ長調が登場する。ベートーヴェンがこの調性を使った音楽は、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」や交響曲第3番「英雄」といった、堂々とした風格を持つものが多い。この曲においても、初めてこの調を耳にしたとき、私たちは決然とした輝かしさを目の当たりにする。これまで31種類の様々な変奏を書いてきた後に到達した、音楽形式の王様として君臨する「フーガ」への敬意も込められているのではなかろうか。
このフーガは大きく前半と後半に分けることができる。
前半は、第1主題(テーマにおけるcの要素を使用)と第2主題(テーマにおけるfの一部を含む)で構成されている。

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第1主題は全体としては下行する形をとっており、第64小節からはそれが反行形で登場、つまり上行する形となる。

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フーガの最初から上行形が登場するまでと、そこから前半部分の終わりまでとは同じ小節数で書かれており(各64小節)、ここでもテーマの法則をしっかりと踏襲している。
第117小節からの後半部分では、第1主題は前半部分から変形して引き継がれる。そこに新たに8分音符の第3主題ともいうべきモチーフが足され、活発さを増す。

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その後3つすべての主題が同時に登場し、騒々しさとオーケストラ的な盛り上がりを見せ、クライマックスが奏でられる(緊迫感のあるアルペジオのあとで現れるPoco adagioでは特別な和音進行が使われており、ウーデはこの間にテーマのすべての要素が含まれているという見解を示している)。変ホ長調からホ短調の和音へ移る時、私たちはこの上ない透明感に出会うことができ、その向こうに主調であるハ長調を見据えることができるのである。
第33変奏(a,b,c,d,f,g)で改めてハ長調に戻った時、そこはこの上なく気高い空気に包まれる。あの少々武骨とも取れる冒頭数分間から、この優雅で気品のあるメヌエットに到達することを誰が想像できただろう。フーガまで発展させた後、再び原点に返ってくる終結を選んだベートーヴェンは、バッハのゴルトベルク変奏曲において最後にテーマと同じアリアが再び奏でられることが頭にあったに違いないとする見解は多く、私も同感である。ただしこの最終変奏ではテーマにおける変奏の要素ほぼすべてを含み、また舞曲のスタイルで書かれているという共通点を持ちながら、テーマとは全く違う世界を作り上げており、最後までベートーヴェンという作曲家の偉大さに圧倒される。


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伊澤悠 ピアノリサイタル
2020年3月7日 18:30開演
於:サロンテッセラ(東京・三軒茶屋)
チケット:https://tickets-order.stores.jp/

※新型コロナウイルス感染症の拡大が懸念されておりますが、国や自治体の情報に留意しつつ、ご来場いただくお客様に対し、できる限りの感染予防策を講じて、本公演を実施いたします。

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