解説:ディアベリ変奏曲 ①

Ⅰディアベリ変奏曲とは

1. 成立
 1819年、当時作曲家兼編集者として活動していたアントン・ディアベリは多数のオーストリアの作曲家に自らのワルツをテーマに一つずつ変奏の作曲を依頼し、それをまとめて壮大な変奏曲を作り上げることを計画した。ベートーヴェンはもちろんのこと、シューベルトやツェルニー、そして当時まだ11歳だったリストなどを含める作曲家たちがその依頼を受け取ったが、ベートーヴェンはこのテーマを「下手な靴職人の継ぎはぎ」と批判し、依頼を断ったといわれている(音楽において同じモチーフばかり繰り返される現象を揶揄してこう呼ぶことがある)。

 しかし彼は、この主題あるいは企画に触発されたのか(はたまたウーデが推測するように、他の作曲家と並べられることを嫌っただけだったのか)、自らの変奏曲の作曲に着手し、この年23の変奏が書かれた。その後暫しこの大作から距離を置いたベートーヴェンは、最後のピアノソナタ3曲やミサ・ソレムニスを作曲する。作品111、すなわち最後のピアノソナタのアリエッタ部分において、このディアベリのテーマの要素が使用されており、遠い変奏曲とさえ捉えられることや、同ソナタの終結部が始め、ディアベリ変奏曲の最後と非常に似た形で記された後、彼自身の手によって修正され、現在の形となっていること等から、最後のソナタからこの変奏曲への何らかのつながりを生み出そうとしていたことは、確かだと考えてよいのではないだろうか。

 その後1823年にさらに10の変奏を作曲し、この曲での最初の驚きと言えるであろう第1変奏、第2変奏や、後半短調が3つ連続して登場するうちの第29,31変奏等が追加された。こうして音楽的な深みを増したのち、1824年にベートーヴェンによるこの大作を第1巻、他の作曲家による変奏曲集を「Vaterländischer Künstlerverein愛国芸術家協会」の名のもと第2巻とする形で、出版されたのである。


参考音源↓

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伊澤悠 ピアノリサイタル
2020年3月7日 18:30開演
於:サロンテッセラ(東京・三軒茶屋)
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