はじめてのnote
みなさん初めまして。
私は現在慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に通う19歳・大学2年生のハルカです。
このnoteでは、自分が普段大学で学んでいることを軸に発信を行いたいと思っています。
今回は初めましての自己紹介も兼ねて、私について書いてみます。
私は現在、「教育とゲーミフィケーション」というテーマを軸に、教育に関わる活動や、ゲーミフィケーションのツールの探求を行っています。
「教育」というと規模が大きいですが、私はその中でも、教育・学習モチベーションややりがいといった部分に興味があり、学習者の学習意欲をどうやって高めるか、どうしたら楽しみながら物事に取り組めるかを学びたく、現在ゼミで探求しているところです。
<私の主な活動>
教育に関する活動
・塾講師
・難民教育支援
・幼児教育インターン
・ゲーミフィケーションを用いた教育インターン
・母校の教育研究所メンター(これから)
その他の活動
・映像(主に映画)制作
・脚本
・中高生MV制作プロジェクトメンター
・地方創生映像制作メンター
・バンド(key.bass)
よく、いろんなことをやっているねと言っていただきますが、SFC生は本当に意欲的で活動的な人が多く、周りにも、同じようにいろんなことに取り組む学生がいます。だからこそ、私も刺激をもらって、ここまでいろんなことに挑戦しようと思えているのではないかなと思っています。
そういう意味では、自分の今いる環境にとても感謝したいです。
現在取り組んでいる活動の細かい説明は、今後記事にしていきたいなと思っていますが、今回は、そもそもなぜこのテーマに関心を持ったのか?という点についてお話していけたらなと思います。
教育に関心を持ったきっかけ -関心が持てないことはしたくない-
私が教育に関心を持ったのは、高校2年の時です。
とはいえ、当時は大学受験を控えていたこともあり、教育という観点を強く持っていたわけではなく、大学に入って、今までの人生を思い返した時に印象に残っているなと思ったのが高2だった、という感じです。
私は、優等生タイプの人間ではありません。私がいう優等生タイプとは、習う科目をしっかり勉強して、テストがあるものは高い点数が取れるように努力する人のことです。
私は、関心が持てるものに関しては頑張ろうと思えますが、興味が持てない、意義を見出せないとわかったものは本当にやる気が出ず、テストがあっても、それが評定平均に響くことがわかっていても、勉強しようという気になれませんでした。
やる気が出ないならやらなければいい!
高校2年生の時、受験でも使う可能性のある評定平均に関わるテストの中に保健がありました。その当時、12科目試験を抱えていて、時間がない&やる気が出ないという理由で、試験当日の朝の電車30分間で暗記をしました。そして、なんの根拠もなく、多分記号選択だろうという推測のもと、一通り目だけ通して試験に挑みました。
試験が始まり、試験問題を開いてびっくり、なんと全記述式でした。
あの時の絶望感は今でも覚えていますが、同時に、後悔はしなかったのを覚えています。何回やり直せたとしても自分は同じ行動をとるだろうなと思ったからです。
その試験は、分かる2,3問だけ埋めて眠り、16点という自己過去最低点を叩き出しました。
その時の保健の先生は体育も担当してくださっていて、体育は誰よりも全力でやるタイプだったこともあり、とても仲が良かったのですが、この経験を通じて、先生との関係値に関係なく、「面白いと思えることはやる、面白いと思えないことはやらない」思考が自分の中に根付いているのだなと実感しました。
なので、先生が面白いから点数が上がった、先生の教え方がよくないから点数が伸びない、は言い訳だと思っています。
ただ、私も高校生の頃は散々先生のせいにしてしまっていましたが。笑
学びって楽しいかも!?-楽しい勉強との出会い-
これとは反対に、私が教育に感動したのも同じく高2の時です。
受験は、英語、小論文、国語(現代文、古文、漢文)、日本史のみしか使う予定がなかったのですが、選択科目で政治経済の授業をとっていました。
政治経済といっても内容は世界史に近いもので、NHKにて放映されている「映像の世紀」のDVDを用いた授業が多かった印象があります。
授業スタイルとしては、まずプリントを用いて軽く映像に関する説明があった後、映像の世紀をみて、終了後にもう一度プリントで説明補足をするというものでした。
日本史の方が関心が持てるなと思って日本史を選択していましたが、このスタイル(特に映像を用いて見える化する形)が自分にピッタリで、その授業が終わると自分でそのテーマについて調べてしまうほど、没頭していたのを覚えています。
日本史選択の私にとっては、受験に全く関係のない学びだったのですが、それでも学習したいと思えるほど自分に刺さったことに衝撃を受けていました。
この経験から、
人には必ず刺さる学習法があり、「楽しく学習する」という、一見矛盾しているように聞こえるこのスタイルを実現させることができるのではないか
と思うようになりました。
楽しく学びたい気持ちと受験勉強の葛藤
とはいえ一般入試で挑む私にとって、こうした思考も全て、大学に入らないと探求できないと思い、在学中は全くアクションを起こすことができませんでした。高校時代はコロナ禍と丸かぶりだったので、唯一できたことといえば、自分が脚本と監督を務めた映画作品を完成させ、賞を取ったことくらいでした。
この経験から、中高生の制約がある中でも意欲的に活動したいと思える子たちをサポートしたい!と思い、現在中高生のPJのメンターをしています。
その後、自分自身の大学受験の経験、中高時代の自分の教育への向き合い方・・・こうした点に加えて、「楽しい!」を引き出してくれる瞬間ってどんな時だろう?と考えるようになりました。
クリエイティビティと生きてきた人生-私の「楽しい」を引き出してきたもの-
人生を振り返って(というダイナミックな表現を使っているものの、まだ19歳なので、振り返る過去は19年しかありませんが笑)私の人生はクリエイティビティで溢れていました。
ピアノを習っていた頃に作曲をしていた小学校時代、イラストと動画編集を組み合わせて歌詞動画を作っていた中学時代、映画制作を0から行い、映画制作の手法の試行錯誤から脚本書き、監督、部長として部をまとめるリーダーシップ力を模索した高校時代・・・。
他にも、テニス、そろばん、プール、英語など、たくさん習い事をしてきましたが、印象に残ったものは全てクリエイティビティを発揮するものでした。
そこから、クリエイティビティが人を没頭(フロー状態)させ、人生を豊かにしてくれるのでは?と思い始め、教育と絡められないかな?と考えているのが現状です。
最後に
ここまで長々と書いてきましたが、現在も模索段階真っ只中で、自分でも自分がわかっていない部分がたくさんあります。このnoteの発信を通じて、今まで以上に自分自身と向き合うきっかけを作れたらなと思っていますので、暖かく見守っていただけると嬉しいです!よろしくお願いします:)