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問題児

 駄目だと分かっていた。悪いことだと分かっていた。深入りしたら今の幸せを失うことも分かっていた。でも、私は会いに来てしまった。
「奈緒…久しぶりだな。」
和希とは高校を卒業して以来一度も会っていなかったけれど、10年経った今でも、変わらない優しい目をしていた。
「久しぶり。・・・・・・元気にしてた?」
私が聞くと、
「どうだろ?まぁまぁかな?」
和希は苦笑いしながら言った。
「そっか。でも、見た目とか全然変わってないからすぐ分かった。」
私は少し笑って言うと、
「奈緒は変わったな。垢抜けたっていうか、綺麗になった。」
和希は俯きながら言った。
「まぁ、さすがにメイクしたり髪染めたりしたら変わるよね。」
会いたくて我慢できなかったはずなのに、私は和希の顔を見ることができなくて、和希は私に触れようとしなかった。私達の間にはお互い探り合うような空気が流れていた。
「結婚・・・、するんだってな。」
和希は思いきったような声で、唐突に言った。
「・・・うん、多分。」
私は少しだけ気まずくなって曖昧に答えた。
「・・・・・・おめでとう。」
和希は私を見ないまま寂しそうに微笑んで言った。
「高校生の時さ、学校でいちゃいちゃするなって先生に怒られたことあったよね、覚えてる?」
私は重くなった空気を変えようと、わざと明るい声で言った。
「覚えてるよ。たしか付き合う前だったよな。確かに二人きりだったけど、図書室の隅でただ話してただけだったのに、生徒指導室まで呼ばれて。」
和希は懐かしむような表情で言った。
「学校はそういうことをする場所ではありません!って、めっちゃ怒ってたね。何先生だったか名前忘れちゃったけど。」
私が苦笑いしながら言うと、
「図書室に戻った後、奈緒は泣いてたね。」
和希は目を細めて言った。あの頃の私は、誰かの温もりにすがらなければ生きていけないくらい、本当にギリギリで、1日1日をやっとのことで生きていた。私は先生の言葉で、そんな生き方を否定されたような気がして苦しくなったのだが、和希は私が内申を気にして泣いていると勘違いして慰めてくれたのを覚えている。
「和希は抱きしめて慰めてくれたけど、それも見つかって更に怒られたっけ。」
当時を思い出すと、懐かしくて、少し笑ってしまった。
「・・・奈緒さ、俺のこと、本当は好きじゃなかったよね?」
和希がぼそっと言った。
「・・・気付いてた?」
私が苦笑いして聞くと、
「そりゃあ気付くよ。奈緒は俺に執着してなかったから。付き合ってすぐ他の男に取られたし。」
和希は夕日色に染まった空を見上げながら、軽い調子で言った。
「最低な自覚あって言うけど、あの頃の私は、側にいてくれるなら、誰でも良かったんだよね。」
私も空を見上げて静かな声で言った。
「うわー、奈緒ちゃん最低ー。」
和希は私を茶化すように笑って言った。
「知ってる。」
私は和希の声につられて笑った。
「他の女子からの告白何人も断って奈緒を選んだって言うのに、モテないオタク男子に交際1日で寝取られたとか酷すぎじゃない?未だに俺の笑える自虐エピソードとして語り継がれてるよ。」
和希は冗談ぽく笑って言ったけれど、客観的に見ても、私って本当に酷いやつだと思った。
「・・・私を恨んでる?」
私が小さな声で聞くと、和希は無言のまま、俯いた私の顔をしばらくじっと見つめていた。返事が無いことに不安になって顔を上げると、目が合った途端、和希は突然私の腕を取って強引に引き寄せて、自分の腕の中に倒れこんだ私を抱きしめた。
「・・・恨んでみたこともあるけど、いろいろ考えてるうちにやっぱり奈緒の寂しそうな笑顔が浮かんできて、結局抱きしめたくてたまらなくなるんだよね。」
和希の声は柔らかく、和希の腕の中は温かかった。
「奈緒に婚約者がいるって分かってる。嫌ならこの腕を押しのけて行けよ。」
和希のこんなに強引な声は今まで聞いた事が無いと思った。私はそのまま顔を上げて和希の唇に自分の唇を重ねた。そのまま唇を割って、和希の口の中に舌を滑り込ませた。
「きっとまた、私は和くんを傷つけるよ。」
婚約者がいても、誰に愛されていても、ずっと満たされない寂しさを抱えているような気がしていた。穴の空いたバケツみたいで、どんなに愛を注いでも、注がれた愛はたちまち零れ落ちていく。
「それでもいいさ。」
和希は薄く笑った。私を満たすのは、一瞬の幸福とその後の破滅。今は先生に怒られてもいい。この腕の中で燃えるように息をしていたいと思った。

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