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~自己紹介~ ケニアで起業したい。のか。人生迷走中の相澤です。

アフリカで何かしたい。漠然とそう思っていた。
27歳、今がラストチャンスかも、そう思ったらケニアに行くことを決めていた。
そんな相澤が感じた日々を書いていこうと思います。

なぜかずっと関心があったアフリカ。
父が「世界には食べたくても食べられない子がいるんだから」と口癖のように言っていたからだろうか。
漠然と「アフリカ」「国際協力」に関心を持っていた。

大学でスワヒリ語専攻に入った。
勉強が嫌いだったのでまじめな生徒ではなかったけど、関心はあった。
アフリカに行きたいと思った。

大学1年生、NICEという団体の2週間ボランティアプログラムに申し込んで、ケニアに行った。初海外、初アフリカ。
衝撃を受けた。ハエが飛び交う食べ物、服を着ていない子ども、きったない下水、キラキラの笑顔。

大学4年生、もう1度ケニアに行くことにした。今度は4か月の中期滞在。何かが変わると思った。何かができると思った。
でも何も変わらなかったし何もできなかった。自分は自分で、英語もろくに話せず知識もなければ専門性もない、そのままだった。
中国人だと思って「チンチョンチェン」と中国語風に笑って話しかけてくるケニア人が嫌いだった。早く帰りたかった。

大学4年の7月、翌年4月から働くために遅すぎる就職活動をした。
何もできなかった自分が嫌で、「とにかく成長したい」と、「自己成長」を掲げるM&A仲介会社に入った。どう成長したいのかもわからずに。

すぐに会社が嫌になった。
自社の利益しか追求しない会社が嫌だった。
たくさん稼いでたくさん遊んでいる営業の人たちが嫌いだった。
周りのみんなは優秀だった。できない自分が嫌だった。
私のやりたいことはこれじゃない、と思い込んでいた。

転職した。社会課題にアプローチする組織に入った。
理念や方針にはすごく共感していた。
ただ、代表の考えをアウトプットするただの作業員だった。
辞めたくなった。毎日ちゃんと働いている社会人はすごいと思った。

自分は何がしたいのだろうか。
やっぱりアフリカに関わりたい。なぜかずっとそう思っている。
早く帰りたいと思っていたはずなのに。

結婚したいし早めに子どももほしい。いま27歳。
無謀に何でもできるラストチャンスかも、そう思った。
ケニアに行くことに決めた。

プロポーズしてもらった。結婚した。
自分だけの人生じゃなくなった。
ケニアにいるのは1年と決めた。

1年のうちにどうにかしないといけない!!!!!

そんな経緯で始まったアフリカ模索~~


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