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私の旅の原点

旅について考えてたら
ふと昔のことを思い出した。

朝起きてふと、今日学校行きたくないな。
そう思うことがちょくちょくあった。

別に病んでるわけでもなく、
いじめられてるわけでもなく、
つらい授業があるわけでもない。

けど、いつもの、
「あ~眠いわ~このまま寝てたいわ~」
系の学校行きたくない、じゃなくて

「今日は、なぜか、とても行きたくない。」
系の学校行きたくない。

自分の中でも何度か頑張ろうとして
それでもいや、まじで今日は無理だ。
みたいな日があった。

自分でも
「わあ、きたこの感覚。」って感じで
原因は分からなかったけど

まあ色々忙しくて詰んでたとか
なんか知らないうちにストレス感じてたとか
そんなことだと思う。
全然たいしたことないようなこと。

私はそういう時、
「今日学校休む~~」ってお母さんに言った。

お母さんは、
「あら、どうしたの?」とは言うものの

「別に体調はいいんだけどね、休みたい」
って私が言うと

「そっか~、じゃあ熱があるのでって電話しとくね。」
って言う。

そのあとは、大体これ。
「じゃあどうしよっか今日。
どっかドライブでもする?
お菓子でも作る?
お家でのんびりしてる?」

岡山までプチドライブしたり
お買い物行ったり
気のすむまでお菓子を作ったり
家でひたすらぼけーっとしたり

そんな時間を過ごした。

次の日には普通に
「あ~眠い~行ってきま~す」
って学校に行ける。

母に、「学校に行きなさい」って
怒られたことは一度もなかった。

父も、
「今日学校休んだ~」って話したら
「おお、そうか~何してたの?」って返ってくる。

「ドライブした~」
「どこ行ったの?
 …お、いいな、あそこはな~」

「お菓子作った~食べる?」
「なに作ったの?食べます食べます。」

「なんで休んだんだ」なんて一度も言われたことがない。

とか言って、
「そんな時間も必要だ」とか
「学校にいかなきゃいけないわけじゃないからな」とか

分かったようないい人ぶったような
薄っぺらいことも言われたことがない。

さもその時間が当たり前にあるかのようだった。
ていうか、父と母にとっては
当たり前だったんだろうなもはや。(?)

それが大好きだった。

ここな気がする、私の旅の原点。

旅にはいろんな形があります。
旅には正解も優劣もありません。

ってたしかBPFで言ったけど

私にとって旅って、
日常から抜け出して、
すんんんごく自分を甘やかす時間。

生きてる中で何よりも自分に甘くする時間かも。

もちろん冒険的な新しい発見がたくさんある旅も
私にとって旅の魅力を語るうえでは外せないけど、

私が一番旅に求めてるのは、癒しの時間。

なんでなんやろう~とかって思ってたけど
昔から自分が知らず知らずのうちに疲れていた時は
旅に出てたからなんかなあ。

昨日と明日が日常でも
今日だけすとん、と非日常にいける時間だった。


そんな時間によく考えてたこと。

お昼過ぎに来た宅配便のお兄さん。
いつも通りお仕事してるんだなあ。
私は本当は給食の準備してる時間だけど
そっか、お仕事の人は時間割ないもんね。

海の近くまでドライブしてお散歩してる時間。
あそこのベンチに座ってるおじいさんは
今日が特別な日ではないんだよねきっと。
私が5時間目の授業を受けている時間にいつもここにいるのかな。

不思議な感覚だった。

非日常の特別な一瞬を感じてる私と、
日常すぎてなにも感じない時間を過ごしてるあの人が
同じ空間を共有してるのが。

…伝わるかな。この感覚。

こんなことをぼけーっと
意味もなくぼけーっと考えてた。

なんか楽しかった。


日常のせかせかした時間からちょっと抜け出したら
平日なのにこんなにゆっくり時間が流れてる場所もある。

あ、今から3時間目が始まる時間だ。

私は今から海を見ながら本を読む時間にしよう。
…眠くなってきた、ちょっと寝ようかな。

そうやって日常から離れて心を落ち着ける時間だった。

家に戻れば、
夕方になってみんなが学校から帰る姿を
ベランダから眺めて

そっか、今日は学校のある日だったんだ。

そんなことをぼけーっと考えながら
ゆっくりした一日が終わる。

大好きだったなあ、そういう一日。


またひたすら意味もないことを
ぼけーっと考えながら
海眺めていたいな。

なにが書きたかったんだろ~
頭に出てくること片っ端から書いたら
何が伝えたいのか分かんない文章になってる気がする

まあいいや私のnoteだし。

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