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「剣客商売を歩く」コースを調べてみた

お勧めのコースみたいです(複数の方が歩いてました)。まずは私も歩きたい!

 おはるさんの実家があった関屋からスタート、隅田川に出る。隅田川沿いを流れに沿って海に向かっていくコース。
 コースのイメージは、関屋から猪牙舟で下る~現実にも船で行けたらいいんだけど~。
 テレビでは、おはるさんが実家から野菜をもらって、鐘ヶ淵まで戻ってくるシーンが都度々出てきます。鐘ヶ淵の隠居所は前が川でいつもニワトリを追ってる。そこに息子や将来息子の嫁になる三冬さんが訪ねてくるという。
 田沼の殿様も川沿いに馬できたよね!お家来衆と。
 その先(下流)は、おはるさんが小兵衛を乗せて下町の友人宅や息子の道場、知り合いの料亭に行くシーンもありました。歩いて行くよりうんと楽だったんでしょうね。おはるさん以外は歩いてくるけど。やはり当時も舟は贅沢だったのかなー。ああ、操船が難しかったのかも?

 まずは、京成電鉄、京成関屋駅下車。隅田川沿いを歩いてきましょう。 
 関屋 おはるさんの実家
 鐘ヶ淵 小兵衛とおはるの隠宅辺り
 隅田川神社 小兵衛宅の近く
 白髭公園、白髭橋 上と同じく
 橋場 大二郎の道場辺り。おもとさんの料亭「不二楼」辺り。

 たいてい、ここら辺りでその日のコースが終わってました。
★コースを歩く人が寄っているのが、三囲神社、今戸神社、隅田公園。

 浅草・今戸の本性寺の墓地には、秋山小兵衛の奥さん(大二郎の母)の墓がある。白髭橋を下ってオーケー橋場店から町に入ったとこ。そのまま南に下ると今戸神社がある。

 おはるさんが猪牙舟で小兵衛を連れて行ったのは、他にもありそうで、例えば、友人の医者を訪問するとき。浅草(両国?)で下したのだろう。だけど、さかのぼるのは大変じゃなかったのか?

 私は他に、三冬さんが住んでいた根岸の寮のあった辺りも行ってみたい。
 書物問屋の泉屋吉右衛門さんというのが、持ち主だそうです。
 根岸の里 泉屋根岸寮(円光寺の南側にあるとのこと)~私は地名から、上野のすぐ東隣だと思っている。

 他に私が歩いてみたいのは、道場から田沼屋敷までの道のり。だけど、私の持っている(古)地図には田沼屋敷がのってない!

調べたいこと

 友人の医者小川宋哲(本所)の住まいがわからない。

 本では、「本所・亀沢町」とのこと。(墨田区両国4丁目とのこと、ありがとうございます)。江戸時代の本所は、墨田区南部、旧本所区にあたる地域の総称だそう。「亀沢町」で検索したら、江戸東京博物館をゲット。そういえば、鬼平は「本所の銕(テツ)」って言われてたのよね。この辺が江戸小説の華なのかぁ~。

 大二郎が出げいこ(隔日)に行ってた田沼の屋敷がよくわからない。

★三冬の妊娠がわかった時、うおぅと叫んで、舅に報告するべく走って行った(私はテレビで見ただけだけど)。報告するや、すぐ引き返しているので、そんな遠いとも思えない。道場から出稽古で頻繁(隔日だったそう)に通っているし。←これは神田御門内の上屋敷。
~田沼屋敷についてわかったこと~
田沼屋敷、という場所があるらしい。千代田区の資料。
〇田沼意次の江戸屋敷 千代田区飯田橋近く東京大神宮前。諏訪藩上屋敷跡(田沼意次屋敷跡)とある。田沼は失脚後、江戸上屋敷を没収されているので、以降の地図に「田沼屋敷」とは載っていない(なるほど。私の持っている地図に載ってないのはその所為か~)。
〇別の資料。神田御門内。すぐ。門を入って左手の屋敷。
〇参考『老中のころは、神田の上屋敷に住んでいた』 (←ググったらでてきたんだけど、鉛筆メモなので、出典不明になっちゃった)
〇『ホテルグランバッハは、田沼屋敷跡地にできた』。←場所は銀座なので、中屋敷?
〇本郷弓町の屋敷で生まれた(足軽の家)←この屋敷はだれの?今はどうなってる?
〇墓は、豊島区駒込の万年山勝林寺。隆興院殿耆山良英大居士だそう←調べた人すごい!

すごいと言えば、素晴らしいページを見つけた。メモっときます。
台東区観光ボランティアガイドの会様。さすが東京です・・・

池波正太郎コースのご案内

ページの最初に引用が載っていて、ぐっとくる!

ところでこの日。
秋山小兵衛は、浅茅が原の松林から田圃道をたどり、後方の玉姫稲荷の社へ向かって行く熊五郎の後姿を発見した。
玉姫稲荷の杜が、 浅草田圃のひろがりの中に、浮島のように見える。

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