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剣客商売第8巻 第2話 狐雨

はじめの一歩

 池波正太郎著「剣客商売」は、江戸の町を歩いているよう(仮想空間)、自分の足でも歩きたくなって、地図を作りはじめました。
 「剣客商売」の各話ごとに地図を作ってます。江戸以外が舞台の話など、抜けているのもあります。完成地図(記事)は「目次」へリンクしてます。

 では、机上ツアーにご一緒ください。
 ゆかりの地を歩かれた方、コメントいただけると嬉しいです。
 写真撮影・感想など、記事を書かれた方も、ご一報いただけますと、大喜びします。お待ちしています。


地図(画像)

メイン。➀杉本又太郎の道場ー③駒込富士浅間神社ー⑧大治郎の道場
敵役②松平修理之助屋敷、
狐⑦雑司ヶ谷の鬼子母神
⑬田沼上屋敷⑮中屋敷

地図データ

 本文抜書の、『51)』等は、文庫のページ数です。
 切絵図を使わせていただいてます、加工(切取等)しています。
 切絵図は『出典:国会図書館デジタルコレクション』です。

大治郎、団子坂へ

58)⑬田沼屋敷での稽古が終わり、⑭神田御門外へ出て来た秋山大治郎は、ふと、杉本又太郎の顔をおもいうかべた。
58)大治郎は、飯田粂太郎に
「これから➀団子坂の杉山道場へまわる。もしやすると向こうに泊ることになろう。三冬に、そう伝えてくれ」・・・

切絵図:団子坂(62頁分に再掲)

根岸谷中辺絵図

「それから⑮御中屋敷へ帰ってくれ」
59)いま、飯田粂太郎は、浜町にある⑮田沼家の中屋敷で、母と共に暮らしている。
 飯田粂太郎と別れた秋山大治郎は、めっきりと秋めいてきた空の下を、本郷の➀団子坂にある杉本道場へ向かった。
60)杉本又太郎は、父が死ぬるまでは②目白台に屋敷を構える二千石の大身旗本・松平修理之助景則の家来だったのである。

切絵図:目白台。音羽町側に、武家屋敷(旗本屋敷等)がたくさんある。

小日向絵図:目白臺とある。
音羽絵図:上切絵図の「目黒臺」の位置に、目白坂と表記。

62)杉本道場は、③団子坂の中程の北側にある。
 板倉摂津守の下屋敷の横道を入った左側に、道場の門があり、その正面に茅ぶき屋根の小さな母屋。母屋の右手に板屋根の大きな道場があるのだ。
 道場の背後は、竹藪と畑であった。

切絵図:団子坂。

本郷湯島絵図 北は右 根津権現はだいぶ南であると思われる。
根岸谷中辺絵図
北は左上 駒込絵図 赤で囲った部分が寛永寺の御料林のようです。

 大治郎が団子坂に着いたとき、又太郎は襲われていて、危機一髪で間に合った。

次の日・又太郎

72)その日の朝早くに・・・。
 杉本又太郎は、③団子坂の道場を出ていた。
 小道へ入ったり、雑木林をぬけたりして・・・
 ③駒込の富士浅間神社(祭神は木花開耶姫)の裏手にある百姓・庄右衛門宅へあらわれた。
 庄右衛門は、女房おかねと二人暮らし。
 団子坂の道場から此処までは、半里。それを4時間もかけた。

駒込絵図

73)又太郎の亡母ふじは、④神田明神下の、刀の研師・佐兵衛のむすめで、おかねは其処に少女のころから十年余も奉公していたという。
74)小枝は、庄右衛門宅の屋根裏に隠れていた。

その帰りに・・・

77)駒込の表通りを避け、又太郎は畑道を⑤駒込の千駄木のあたりをぬけるつもりで歩いていた。
78)⑥前方に寛永寺の御料林が見えてきた。そのとき、とつぜん雨が叩いてきた。驟雨である。又太郎は林の中へ。
「もし、もし・・・」(狐)
「私は、あの・・・あの、私めは、小枝さまに大恩をうけたものにござりまする」
・・・狐の力で6人の侍を撃退、さらし者にした。
86)⑩根津権現前に住む御用聞きの万七。侍(泥棒として)をお縄に。
88)早くも、⑪北大門の文蔵の耳に入り、⑫小兵衛へ。すぐに大治郎・三冬夫婦に知らせ、隠宅へ呼ぶ。誰も信じられないが。

狐の話

93)「十年前・・・アノ。⑦雑司ヶ谷の鬼子母神様の御境内の草叢の中へ泊りましたところ、目がさめたときは、日も高く昇っておりましてナァ」
 百姓たちは撲殺しようとした。
 そこへ通りかかったのが、少女の小枝だったのだそうな。

神通力を持ったのは5年前に死んでから。
96)「五年前に病を得て身罷り、伏見稲荷(京都)に棲み暮らしておりまする」
 伏見の稲荷山には、狐の霊が二十万余もあつまり、人間の目には決して見えぬ黄泉の国があるのだという。

江戸外

橋場の道場

99)大治郎がの隠宅から帰ると、⑧橋場の家に、又太郎がやってきていた。
101)それから、およそ半月ほど経った。松平修理之助は沈黙している。
 しかし、⑩根津の万七が道場へ来て、又太郎にそっと告げた。
 ⑨幕府の評定所
105)又太郎は、自分の道場では堂々たる師匠ぶりだが、橋場の道場では別人のように弱くなる。
 大治郎不在のときは、⑪本所・亀沢町の町医者・小川宗哲宅に寄宿している笹野新五郎が道場へ来て、稽古をつける。
 新五郎は、⑫本銀町(ほんしろかねちょう)の間宮孫七郎道場へ通って修行を続けているが、三日に一度は、秋山道場を訪れることを、忘れなかった。
107)大治郎に話を聞いた翌日の午後、小兵衛は橋場の道場へ出かけてみた。
108)「姿は見えぬのだが、片隅に何かが蹲っている気がしたのじゃよ」

本銀町(ほんしろかねちょう)の間宮孫七郎道場
 
本銀町3丁目の蝋燭問屋〔大隅屋〕の前で大治郎と擦れちがった。
 間宮道場へ入ろうともせず、通りをへだてた薬種問屋〔大和屋〕の軒下に佇み、向い側の表具師と、〔播磨屋〕という旅籠の間の細道をはいり、突き当たったところが間宮道場
 弥惣治は、地蔵橋をわたり、紺屋町の方へ消えた。

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