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剣客商売第15巻 第1話 おたま

  一年前に出て行ったきりのおたまが帰ってきた。小兵衛は呼ぶが、なかなか来ない、むしろ、ついて来いという様子。小兵衛はおたまを追って北へ。

 第15巻の「おたま」は小品であって、続く特別長編「二十番斬り」は、33頁から250頁に及ぶ。

 今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
 切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

主たる場所

 小兵衛が動いた場所は、小兵衛の隠宅と、「隠宅から五町(550m)ほど離れた綾瀬川」の先で「綾瀬橋の手前二町(220m)」の「綾瀬川畔の家」のみである。切絵図では、綾瀬橋はもう少し東だと思うので、②ももう少し東か?

切絵図の表現:

小兵衛の家のある辺りは、池や沼が点在、堤の裏に船着き場を作れるくらいな水の都。

関連する場所

 登場人物は、夏目八十郎が主であって、本邸は本所・三笠町(息子が継いでいる)。夏目は、根岸の隠居所に住む。具体的な<場所についての記述>は無し。
 弥七・傘徳も登場するが、<穏便に解決>するためであって、静かなもの。私的特記事項は弥七たちに出された「嵯峨落雁」くらい。
 なお、回想シーンには、辻道場が登場。

 小兵衛は、近所の御用聞きに届けると、夏目が金貸しをしていたことなどから、旗本・夏目家に傷がつくのを配慮、四谷の弥七に手続きを頼んだ。
 夏目はすっかり小兵衛のことを忘れていた。

夏目八十郎の「本所・三笠町の小さな屋敷」について。
切絵図>三笠町。屋敷に住所はなく、地名を示すときは、近くの町屋の住所になるらしい。なので、黒丸「三笠町」を目印に屋敷を探す。武鑑ではもう少し手掛かりがあると思うが?

<最近の学び>にエントリー 
 この頃、地図を作りながら、江戸末期のいろいろなことを調べるようになった。
 今、地方の、例えば、代官所の位置と役割などを調べている。
 また、維新期の激動の中『品川県』があったのをご存じでしょうか。もし、資料などがありましたら、ご紹介ください。

1町とは何メートルか<今日の学び>

(Wikipediaより引用)
 この場合は丁とも書く。条里制においては6尺を1歩として60歩を1町としていたが、太閤検地の際に6尺3寸を1間とする60間となり、後に6尺を1間とする60間となった。
 メートル条約加入後の1891年に、度量衡法によりメートルを基準として1200 mを11町と定めた。したがって1町は約109 m、1 kmは約9.17町となる。
考え>1町とは、 ➀6×60=360尺・・・109m 
 一歩とは約70㎝。6尺で1歩なので、1尺は11.7㎝?ところが、公式?には、1尺は30.303㎝。従って一歩は、30.303×6=181.818㎝!
 此処で理解。1歩とは、単位で会って、人間の歩幅ではない。フム。
 360尺とは、10909.08㎝=109m
 (別ページより)里(り)は、尺貫法における長さの単位である。現在の中国では500 m、日本では約3927.2727 m = 約3.9 km、朝鮮では約400 mに相当・・・これって、土地の売り買い(昔)のとき誤解にならない?
 ※1里は『半時(約1時間)歩いた距離』と慣例的に決められていた。

 結構、堂々巡りで、理解した!と思った瞬間後、あれ???とまた調べ直してます。大治郎の移動距離(歩く速さ)は凄い・・・。

地図データ

 上の地図のデータです、地名等について、本文の書き抜きをしています。
 また、江戸時代の地図で場所の特定など・・。
 なお、本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。

8)・・・<隠宅で小兵衛がくつろいでいると、1年前に出て行った『おたま』(白猫の名)が姿を見せる>
12)おたまは、堤の方へ駆けのぼる。
13)おたまは、堤の上の道へ出て・・・北の方へ向って走り出した。
 正確に言うならば真北ではなく、やや東寄りの方向で、小兵衛に隠宅から五町(545m?)足らずのところに、綾瀬川がながれている。川幅は十二間ほどで、この川は大川と新川をむすんでいる。
 川縁を少し東へ行くと、綾瀬橋という橋があった。
 綾瀬橋の二町ほど手前の右側へ、堤から下る小道がついていて、走り下り行く。
 堤の左側は、綾瀬川である。
14)小道は、木立の中へつづいていて、おたまと小兵衛は、木立を抜けた。
 藁屋根の風雅な家があらわれた。
<事件が起っていた>・・・浪人と二人の無頼者・女、老人(夏目八十郎)
22)<40年前の八十郎は百五十俵三人扶持の幕臣><少し考え、おたまを連れて隠宅へ。弥七に手紙を書いて、来てもらうことにした>
 手紙は木母寺の茶店へたのむと、四谷の弥七へ届けてくれる。何度も頼んでいるので、場所も知っている・・・
 おはるに地図(綾瀬川畔の家)を書き、
「あとで、弁当を持って来ておくれ」
 弁当を持って来たおはるは、一度帰って、夜に入ってから、弥七と徳次郎を案内してきた。
26)夏目八十郎 本所・三笠町に小さな屋敷。二十年前から隠居。
 下谷の根岸の里に小さな別宅<上野池ノ端の水茶屋の女、お鶴を囲う>
28)四十年前の夏目八十郎の強さは、そこなしであった。
 小兵衛が辻平右衛門の門人となって七、八年のころ。二年ほど辻道場にいた。
31)「夏目八十郎というお人は、大変な猫好きなのだそうでございますね」


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