剣客商売第5巻 第6話 三冬の縁談
江戸そぞろ歩き・地図
このページをひらいてくださって、ありがとうございます。
剣客商売を読んで「江戸」歩きをしたいと思い立ち、地図作っています。
今回は、第5話第6話「三冬の縁談」です。
お断り:「江戸散歩」がテーマなので、江戸を離れたら対象外としています(力及ばずなんです・・)。旅好きなかた、ごめんなさい。
地図(画像)
地図
凡例に➀秋山道場等とありますが、地図が広くなりすぎるので、割愛しました。 ⑤以下の場所が地図上に表示されています。
⑤⑥麻布の柳道場、⑦松平美濃守・上屋敷(⑮幸橋御門内)
道場破りコース⑮⑩⑪→⑤ 負けて⑫の方向へやみくもに歩いている最中に⑬事故。・・・破談。
本文抜書(地図データ)
切絵図で「場所」探し中です。切絵図は味わい深く使わせていただいている『国会図書館デジタルコレクション』は、出典を示せばアップしてOKとのことでご紹介させていただいてます。ありがとうございます。
ここからは、剣客商売第5巻第6話の本文の抜書(地図データ)です。お気づきの点は、コメントをいただきたく、よろしくお願いいたします。
※「51)」等は、文庫本の頁数で備忘用。ちょっと煩雑でごめんなさい。
大久保平蔵
271)佐々木三冬が、➀浅草橋場の秋山道場へあらわれた。
289)2日後(梅雨の晴れ間)、②小兵衛は、おはるの舟で大川をわたり、③山之宿の駕籠駒の駕籠で④四谷伝馬町の弥七の家へ
柳喜十郎(道場主)
302)⑤麻布森元町 柳喜十郎という剣客が一刀流の道場を構えている。
近くの⑥善長寺の境内などへ来て、ぼんやりと時を過ごしていたりする。
門人に、大和・郡山藩士 佐藤要 師をほめそやしてやまぬ。
これが大久保平蔵の耳に入った。
上の場所の位置、迷いに迷っていたら、アドバイスを発見。思わず声が出ちゃいました。学者っていつもトップランナーです。
道場破り
307)三冬との試合を明後日にひかえた、その日の昼すぎに(大久保は)、⑦幸橋御門内の藩邸を出て、麻布へ向った。・・・※310)につながる
小兵衛の困惑(・・結果、大久保を尾行)
⑧御門外の二葉町〔益田屋〕という料理屋がある。
小兵衛は、三日前から、弥七と共に、二階座敷で午後を過ごしていた。
小兵衛は困惑しきっているのだ。
308)四谷の弥七は、⑦松平家の中間部屋へ三日ほど通い、中間たちの手引きで、藩邸内の通路を歩く大久保の顔をたしかめてきている。⑦上屋敷の中間部屋だけに、博奕はゆるされていないが、⑨浅草茅町の中屋敷の中間部屋は、夜になると、あたりでも知られた博奕場になる。・・そこから手づるを得て⑦幸橋御門内の中間部屋へ入り込むことができた。
切絵図:中屋敷があったと言われる浅草・茅町周辺。
310)「あれでございます。いま、御濠へかかる橋をわたって、こちらへ・・・」
310)幸橋門外へ出た大久保平蔵は、大名・武家屋敷が両側にたちならぶ⑩佐久間小路を⑪芝・増上寺の方へ向かって悠々と行く。
結末
311)これほどの大久保平蔵が、なんと、あの見るからに貧弱な風采の柳喜十郎へ試合をいどみ、喜十郎に負けてしまった。
負けて尚、憤然として⑤柳道場を出た。
313)坂道を⑫中ノ橋の方へ向かった。
と、そのとき・・・。
⑬公儀の組屋敷と組屋敷の間から、小さな手押し荷車をひいた野菜売りの老爺が、ひょいと出て来た。・・ぶつかって、大久保が抜き打ったところを、小兵衛がさりげなく守って駈け去る。
315)⑬麻布の公儀賄方屋敷
最初に掲げた切絵図:「中ノ橋」と「森元丁」の間に「御賄方」という敷地が見える。この地図の「御賄方」は小さく見えたが、『位置合わせ地図』でみたら、善長寺はだいぶ北の方にあった。道場から中ノ橋までは300mくらいあると思われ、200mの家(1棟か数軒の建物かはよくわからないが)といったら、学校くらいあるなぁ、と思ったことでした。
合印のためのポイント
⑭日本経緯度原点
⑮幸橋
今回は、橋がポイントでした。橋は時代を越えて地図の上に生き続けます。←実感。まぁ、地名だけのこともあったのですが・・・濠を埋めてビルになったりしてました。
江戸情緒/東麻布の橋
出典:錦絵で楽しむ江戸の名所(国立国会図書館のコレクション)
柳道場のあった東麻布。今では東京タワーがあるあたり。西南辺。
柳道場は中ノ橋のすぐそば。近所の錦絵ページを探しました。
中ノ橋の隣(増上寺側)、赤羽橋をご覧ください。
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