地域史のカケラ
歴史の勉強会に参加したら、どうやら、見えるものがちょっと変わった。
タイトル画像・・・年号に反応。あ!江戸時代のもの?
とりあえず、スマホに頼ることにした。で。
叅?慕? 文政十丁亥(1827)
覚 文化十三丙子(1816)
最初の字、読めないことが発覚。なんとなくわかってる気になってた。
石碑もちょっと気になる。
あわててスマホを操作。
ちょちょっと撮ってまわって、ふと気づく。
みんなは橋の方へ歩いて行ってる。あわてて小走り。
ちょっとだけ団体行動を乱したかも。
新しい発見をくれる、歩こう会に感謝。
(3月2日)もう一カ所追加します。
道ばたの小休止。
講中というのは、講とは、毎月みんなでお金を出し合って積み立てること。
たぶん、この「講中」は、お詣りのための集まり。講のお金を預かって代表が代参(代表が変わることによって、参加している家族はいつか当番として参拝する仕組)した、その記念なのだろう。
いまでいう、旅行積立、この石碑はツアーの報告。石碑を立てたくらいだから、代参ではなくて、みんなで行ったのだろうか?
想像は膨らむ。
おっと。「講」の記憶、間違っているかもしれないと、用心(検索)
「外部からの導入による講」として、山岳信仰が取り上げられている。
神社には、富士講などの石碑もあった。あったが、写真を撮るほどでも・・・とスルーしてしまった。
200年前と言ったら、手の届く時間のはずなのに。
江戸は廃れてしまったなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?