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強さってなんだろうか

色んなことが重なって、ふと強さってなんだろうと思ったので書いてみる。

強くなりたいと思う自分

昔から自分は負けず嫌いで勉強、空手、サッカーなど色んなことで強くなりたいなぁと思ってた。
中学生ぐらいの頃だろうか。強くなる為には強靭性を高めればいい!って思うようになった。例えば風邪ひいたかもって思ったら気持ちの問題だ!で片付けて、感度をできるだけ鈍感にする。怒られても自分の心に相手の言葉が届かないように殻で外を固める。心を固くすれば外的要因に振り回されず強い人になれると思っていた。
ただ、社会人になってからこれまでと全く違う組織に属するようになり、強靭性は強さの一評価軸に過ぎないんじゃないかと思った(認識した過程は長くなるのでここでは省略)。むしろこれからの時代強靭性が高すぎると慢性的なストレスに気づきにくく、リスクにもなるんじゃないかと。
よく自分はメンタル強いよねって言われるので人より強いって思っていた。でも、ここでのメンタルが強いって意味は言葉や出来事など外部から襲ってくる攻撃に動じないよねって意味であったのだろう。一時的なパンチに強いだけで、連続攻撃に強いとは限らない。それがコロナ禍でなんとなくわかった。

「強い」の定義

じゃあ「強い」ってどういうことなんだろうか。こういう時はとりあえずググってみる。「強い」の意味を調べると以下のように出てきた。

これを見ると「強い」には色んな意味が内包していることがわかる。力が強いこと、身体が強いことなどなど。これを踏まえて人が強いって状態は、

生命を維持する上で肉体的にも精神的にも安定している状態

を言うんじゃないかと思った。

「強い」を評価する

肉体だけなら強靭性が高ければ強いってことになるんだろうが、精神にとって強靭性が高いのはリスクにもなる。つまり、強靭性だけで強さは評価できない。他にも強さに繋がる評価軸がありそうだ。ってことで色々グルグルした結果その人を取り巻く環境や人間に適応できる柔軟性、いざという時は逃げられる回避性、疲れた時悲しい時寂しい時など自分の感情の動きがわかる感知性、外部からの攻撃に耐えられる強靭性の4つの数値が高く、バランスが取れている人が強いってことなんだろうと思った。この中でも特にこれからの時代に大事なのは、柔軟性な気がする。時代の流れが早すぎて環境が変わりやすいから。

「強い」の定義が変わった?

こう考えると俺って全然強くないことがわかった。メンタルも強くなかったのか。強靭性は高いと思うけど、回避性は普通。感知性と柔軟性はゼロに近い笑笑
でも、あれれって頭の中がなっている。なんか違和感。俺の思ってた強い人と全然違う気がするからだ。昔は「男の子なんだから我慢しなさい」とか「男なら逃げるな」って言われて育ったし、一般的にこういう言葉が溢れてるのもあって、我慢できる人、逃げない人が強い人だって思ってたけど違うじゃん!これを目指すって人を弱体化させてるじゃん!!!俺は強くなりたかったのに…

でも、昔の強い人って強靭性が高い人だったのかもなと思った。きっと今と昔で「強い」の定義が変わったのだろう。「逃げるは恥だが役に立つ」が人気になったのも考えるとみんなも薄々気づいてたのかもしれない。

終わりに

強い人になりたくて生きてきたけど、進む方向を間違えていたことがわかった。いや、目的地が変わってしまったと言うべきか。桃鉄で言うと那覇を目指して進んでたのに、急に目的地が札幌になった気分。なんか悲しい…。でもこのままだと弱体化してしまうので頑張って軌道修正しようと思う。色んなことに敏感になって、ふにゃふにゃな心を持たなければ!
とりあえずは心のストレッチとラブロマンス映画の鑑賞からかな…違うか笑
人類最強までの道のりはまだまだ長そうだなー。あーーー、強くなりたい!!!

ベジータ君、これからの時代強くなりたいなら柔軟性が必要だぞ!!!


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