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歌舞伎『桜姫東文章」で思った輪廻転生で魂が成長する難しさ

 4月21日、歌舞伎座で「桜姫東文章 上の巻」(四世鶴屋南北作)を観て参りました。緊急事態宣言を受けて4月25日から28日まで休演になってしまったので、生の舞台を見られたのは本当に幸運でした。かなりエロティックな濡れ場のある演目なのですが、このポスターに作品の魅了が凝縮されてる気がします。

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伝説の玉仁左コンビ36年ぶりの上演が話題に

  本来はその日か翌日にはご報告するべきですが、4月後半は仕事でどうしても更新できない状態に陥り、残念ながら毎日更新の宣言は反故となってしまいました。が、今回の「桜姫東文章』 片岡仁左衛門と坂東玉三郎という伝説の名コンビ36年ぶりの上演です。なので、5月のGWに入ってしまいましたが、記録に残しておきたいと思います。

 歌舞伎は「勧進帳」や「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺子屋の場」のように、自分や自分の子を犠牲にしても主君に尽くす家臣が出てくる演目もありますが、「桜姫東文章」の登場人物は色と欲に忠実な人たちです。

 かなり破天荒なストーリーで、イメージとしては葛飾北斎の代表作「神奈川沖浪裏」という感じでしょうか。ミュージカル「レ・ミゼラブル」なら中高生が修学旅行や研修で鑑賞するのに相応しいと思いますが、この作品が歌舞伎鑑賞教室の演目に選ばれることはなにでしょう。上の巻のストーリーはざっと次のようなものです。


 鎌倉・長谷寺で修行中の僧清玄と稚児白菊丸は相愛の仲で、未来で夫婦になろうと寺を出奔し、江の島の稚児ヶ淵までやってくる。お互いの名を記した起請代わりの香箱の蓋を白菊丸、身を清玄が持ち、白菊丸は左手に蓋を握りしめて断崖から先に海に飛び込むが、清玄は躊躇して生き残ってしまう。

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 17年後。名門吉田家の息女桜姫は美しく成長したが生まれつき左手が開かない。父の少将と弟梅若丸は悪党に殺されてしまっていた。ある夜姫は屋敷に入った盗賊・釣鐘権助に犯され一子を産み落とす。顔もわからぬ男の腕にちらりとみえた桜に釣鐘の刺青を忘れられず、姫も自らの腕に同じ絵柄を彫りつける。我が身の境遇を嘆き、出家を願った姫に、出世して長谷寺の阿闍梨となった清玄が十念を授けると姫の手が開き、その手から清玄の名が記された香箱の蓋が落ちる。
 香箱を見て桜姫が白菊丸の生まれ変わりだと悟った清玄は、桜姫の出家の願いを聞き届けるが、桜姫は出家の準備をするために入った桜の草庵で操を奪った権助と再会する。権助の腕に刺青を見ると、桜姫は出家の決心をひるがえし、権助に身を預ける。だが、香箱に刻まれた名前から、清玄が不義の疑いをかけられ、桜姫、清玄の二人は寺を追われて非人となってしまう。そこへ里親に出した赤子を返すと里親があらわれ、清玄は桜姫と赤子を助けるかわりに夫婦になろうと迫るのだが、桜姫は驚いて拒絶する。

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 色々な経緯から、清玄は桜姫の子供を抱いたまま桜姫と別れてしまう。すっかり落ちぶれた二人は春雨の降る向島の三囲神社(みめぐりじんじゃ)で偶然出会うのだが、漆黒の闇ゆえにお互いに相手がわからぬまま、行き違いになってしまう。

 ちなみに、この三囲神社は三井グループの守り神です。社の“囲”の文字には三井の“井”が入っているため、「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられ、長く崇敬されてきたのです。社域の一角には三井11家の当主夫妻、120柱余りの霊が神として祀られている「顕名霊社」があります。ここは没後100年を経た霊だけが祀られる特別な場所です。

生まれ変わっても前世の記憶がないから魂が成長しない


 「桜姫東文章」で興味深いのは、主人公である桜姫と清玄のキャラクターが聖と俗を併せ持っていることでしょう。例えば、白菊丸は来世では女に生まれ変わって清玄と夫婦になりたいと言っていたのに、桜姫として生まれ変わった時には前世の記憶が消えており、高僧で美男の清玄に見向きもせず、人を平気で殺すような極悪人の権助に夢中です。

 「ああ、人間って、輪廻転生しても魂が成長せず、こうやって過ちを繰り返すのだな」と納得させられます。かといって桜姫に魅力がないわけではなく、彼女の魂は純粋で高貴な姫ゆえに損得の計算がないのです。

 一方、清玄は白菊丸と一緒に死ねなかったという罪の意識を抱いたまま修行に励み、高僧となるのですが、桜姫に会ったとたん煩悩が蘇り、徐々に桜姫そのものに執着していきます。二枚目なのですが、恋ゆえに破滅し、落ちるところまで落ちて、悲惨な最後を遂げるという、落差の激しい役所です。

 権助にいたっては根っからの悪党で、は桜姫を犯し、子まで生まれたと聞いても、自分の行いを反省することは一切ありません。下の巻では、桜姫を最下級の女郎に売り飛ばすような男なのです。ところが、その迷いのない悪党ぶりがカッコよく、意外と憎めないキャラクターになっています。

36年前よりレベルアップしていた71歳と77歳の演技

 清玄と権助の二役を演じる仁左衛門さんはプログラムで「因果話とはいえ、お姫様にモテそうな高貴な清玄が、桜姫に拒まれ堕落していき、一方の権助はその桜姫に惚れられる。桜姫は権助に惚れたがために落ちていき、しかし権助はそんなことにはおかまいなく、悪の自分の道を歩んでいく。その対比が面白いですね」と語り、初演は売り出し中だった七世市川團十郎への当て書きだったので、嫌な役をさせるわけがないから、そのあたりを考えて演じると語っておられます。

 仁左衛門は2009年6月、歌舞伎座さよなら公演に、当たり役だった「女殺油地獄」の河内屋与兵衛を一世一代として演じました。当時のインタビューで「『吉田屋』の伊左衛門や『封印切』の忠兵衛などは、若いときよりも歳を重ね色々な芸が身についてきた方が良い作品となります。でも『女殺油地獄』の与兵衛は、たとえば現代の扮装でやってもおかしくないお芝居ですし、私の中では、ある程度の若さが必要なお役だと思っています」と語っています。

 仁左衛門はリクエストがあれば、求めに応じてどんな役でもやる役者ではありません。ですから、きっと『桜姫東文章』の清玄と権助を36年間やらなかっったというのは、その二役も若さが必要な役だと思っていたからではないでしょうか。それを引き受けたのは、蓄積した芸の力でもしかしたら、これまで以上の良い演技が出来るのではないかと思い直したからではないかと思うのです。

 それは玉三郎にしても同じだと思います。赤姫の鬘と衣装で30キロはあると言われており、70歳を過ぎて身体に大きな負担がかかる役なのですから、相当の覚悟が必要です。それに36年前と比べれば、さすがに美しさに多少の衰えはあるはずです。桜姫だけでなく、73歳で稚児を演じるのですから、なおさらです。それでもチャレンジしたのは、30代の時よりも深みがある白菊丸と桜姫を演じる自信があったからではないでしょうか。

 一緒に見た親友のMさんは、稚児ヶ淵の場で先に飛び込んだ白菊丸を見て慌てる清玄の様子とか、桜の草庵で桜姫が権助を中へ招くのに、「こっちにおじゃれ」という照れから妖艶さに変わっていく様が36年前よりずっとレベルアップしていたと感動していました。桜姫は自ら帯をほどき、権助の帯まで自分でほどくという大胆さで、ドキドキさせられる濡れ場があるんですね。その型で見せる美しさ、着物ならではの妖艶さは緻密に計算された演技から生まれるものなのだと思います。

南北の魅力は冷徹で容赦のない人の描き方

 この数年、歌舞伎から遠ざかっていたのですが、今回『桜姫東文章』を見て、四世鶴屋南北の人を見る冷徹さ、容赦のない人間の描き方が魅力的で、やっぱり歌舞伎は面白いなと思いました。様式美、型芝居のようでいて、現代劇以上に人が正直でリアルなんですね。

 勿論、「新清水の場」のように、鎌倉の長谷寺の境内に咲き乱れる桜のもとで展開する美しい場面も歌舞伎らしく華やかで良いのですが、すっかり落ちぶれた二人がすれ違う「三囲の場」も哀切な情感が漂っていて胸を打たれるのです。

 人間は崇高さと愚かさと下劣さが同居する生き物です。たとえ情欲にまみれ、破滅の道をひた走っていても、それが自分の心に忠実な生き方で、真実であるならやはり美しいし、愛おしい。200年以上前も今も、人の本質は変わっていないのかもしれません。南北の筆には観客にそう思わせる力があります。


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