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2011年3月11日のこと。

2011年3月11日のこと。
 
今日はあの東日本大震災から12年です。
午後2時過ぎだったでしょうか?ある東北の広告主のTVCMの企画出しの
打ち合わせで、渋谷にある制作会社アストラカンに集まっていました!
打合せ途中で、長い長い揺れが来て、すぐに階段を空けるようにしてもらい収まるのを待ちました!
その時に見たビルや電柱がこんなにも揺れるのかというのを見てものすごく驚きました!その時に見た記憶は生涯残るでしょう!
そしていったん外に非常階段を降りて様子を見たのです大きな変化はないようで、会議室に戻ってTVを付けました。

最初、湾岸の工場みたいなところで火事が出ている様子が映し出されました!その1時間後くらいでしょうか?
東北のあのものすごい津波を見て身体が震えました。
呆然自失というのはこのことを言うのでしょうか?
その場に立ち尽くすだけで次の行動がなかなかとれないという状況。
当然、公共交通機関は止まっています。
とは言え、アストラカンの人たちのために電池を買いに行った方がいいということで懐中電灯や電池を近くの電気やさんに買いに行きました!
暗くなって来たのが18時過ぎだったでしょうか?
私はいったん当時の事務所(麻布十番のリフトという会社)に歩いて戻ることにしました!一緒に企画打合せをしていた現在東北新社OND°でディレクターをされている金子サヨちゃんが新橋で友人と落ち合うことにするというのでまずは麻布十番のリフトに金子さんと一緒に戻りました!
会社には撮影で言う所の「つなぎ」が大量に買い込まれ、会議室に置かれていました!制作会社のたくましさを感じました。
金子さんとサンドイッチかおにぎりかを食べたような気がします。
オフィスでTVを見ながら待機しました!
まったく仕事どころじゃなく、日本はどうなるんだというような漠然とした不安の中ただただ時間が過ぎて行きました。
金子さんはその後、徒歩で新橋に向かっていかれました。
この日は携帯電話(ガラケー)の音声通話が通じなく
唯一コミュニケーションが取れたのが「twitter」でした。
ツイッターのみなさんの書き込みを見ていると、
「誰かのために何かをしてあげたい!」「私たちに出来ることは何だろう!」という書き込みがとても多かったことです!
その言葉に感動し勇気をもらい、自分の国の人たちを誇りに思いました。

夜22時過ぎになった頃、当時、東京都の副都知事だった
猪瀬さんのツイートで「都営地下鉄」が動き出すという記事を見ました!
そして1時間くらいして地下鉄大江戸線経由で超満員の都営新宿線に乗り換えて「篠崎駅」で降りて妙典の自宅へ帰りつきました!
帰宅したのがたぶん午前1時くらいだったかと!停電は免れていました。
篠崎から妙典に向かう江戸川の堤防は多くの人の列でした!みんな携帯のライトモードにして歩いていました。
この時以降、私のカバンの中には100均で買った小型の懐中電灯が入っています。

家の中はまず玄関の靴箱が崩壊しており本棚が崩壊して倒れていました!
幸いキッチンの食器棚などは扉が閉まる低いものだったので大丈夫でした!TV台がキャスター付きのものだったのでものすごい位置に止まっていました!電源コードがあったのでそこで止まったみたいな感じでした!

その数日後、福島第一原発の事故が起きました!
あの何とも言えない不安な感じはコロナで緊急事態宣言が出てどうなるだろう!?という2020年3月~4月の状況にも似ているなと思いました!

時々、飲み会などであの日どうしていた?という会話が交わされます。
その後、多くの本やCDをブックオフに持って行きました!
数百枚あったすべてのCDと本棚にあった多分半分くらいのものを処分しました。現在、大阪に引っ越す準備をしていて本を段ボール箱に詰める作業などをしているのですが、あれから12年経つとまたこうして増えてしまっていることを実感しています!

身軽に生きる。

これから自省を込めて戒めていきたいと思いました!
Yahoo!のポータルサイトの「検索」で寄付されるキャンペーン

「検索は、チカラになる。」

を今年もされているのを見てこれを書きました!

(写真は2011年に撮影した富士山)

2023・3・11

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