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「広告の仕事 広告と社会、希望について」杉山恒太郎:著(@光文社新書)を読ませていただきました。

「広告の仕事 広告と社会、希望について」杉山恒太郎:著(@光文社新書)を読ませていただきました。

私が新卒で広告業界に入るきっけになったTVCMがありました。1983年に日曜洋画劇場のTV枠で流されたサントリーローヤルというウイスキーのCMです!最初に「ランボー」篇というのが流れて、私は自宅でそれを見て度肝を抜かれました!

 丁度、1983年の4月に私は関西大学の3年生になり専門でゼミに入ることになりました。関大の社会学部の植條則夫ゼミという広告のゼミです!大学に入ってしばらくは、新聞記者になりたいとずーっと思っていました。何か書く仕事をしたいというのが大きな理由だったのかも知れません。そんな時に大学の1年か2年の時に同級生の章ちゃんから、ハルキは新聞みたいなのよりも広告の方が向いているんとちゃう!?と言われたのが広告と言う仕事に興味を持つきっかけでした。それまで広告の仕事があることすら露知らず、のほほんとした人生を過ごしておりました。唯一、毎日の新聞を朝刊・夕刊、熟読するということだけが取り柄の私でしたが、それを教えてもらって広告業界に興味を持つことになりました。
 まずは大学の生協の書籍部に行きました。そこには「広告批評」という雑誌が置いてありました。雑誌を読んでみると何とこんな世界でこんな広告を作っている人がいるんや!と初めて知ったのです。そして、高校の友人たちからは同時に「情熱のペンギンご飯」と言う湯村輝彦さんの漫画が面白いと!それの本文を書いている人が糸井重里さんという方で広告のコピーを書いているコピーライターという職業の人だ!ということを知りました!それから毎月、「広告批評」を買い求めるようになりました。
 80年代はサブカル文化が花咲く時代でもありました。糸井さんが参加されている「ビックリハウス」「話の特集」「宝島」(当時はA5サイズの版型でした)「スタジオボイス」そして「流行通信」など私を刺激してくれるたくさんの雑誌がありました!大学生になって自分でアルバイトしておこずかいを使えるようになったので、私のおこずかいの多くが本や雑誌、漫画、そして貸しレコード屋さん、映画館、小劇場演劇などのサブカルなどの文化へ消費されて行きました。結局、その頃から今もあまり、やっていることは変わらず、同じようなスタイルで暮らしています。貸しレコードと雑誌の購入はさすがになくなりましたが。演劇や映画、書籍・新聞の日々は今もあまり変わっていません。食べているものも学生時代とほとんど変わらず、外食は、立ち食いソバ(大阪の時はうどん)、カレー、ラーメン、餃子の王将みたいな街中華、時々、洋食屋とか牛丼屋さんという感じ。たまに居酒屋に行くくらいで、あとは自炊です。
 先日、千里中央のコラボという公共施設で千里ニュータウンを研究している奥居さんと待ち合わせしました!その時、コラボの図書館で本書を見つけて思わず借りました。1983年大学3年のゼミで好きな広告を発表するという課題がありました。順番が回って来たその時、広告批評にも取り上げられていた、本書の著者の杉山恒太郎さんが手がけられた「サントリーローヤルのランボー」のTVCMについてゼミで発表させていただきました。21歳になるまで「アルチュール・ランボー」という詩人のことをすら知らずでした。TVCMが教養教育をしてくれる、しかもとても情緒的に。というのが個人的には驚くべきことでした。このシリーズはその後、
建築家のアントニオ・ガウディ、

作曲家のグスタフ・マーラーと続いて行きました。どれも傑作です。

大学の卒業旅行でバルセロナに行った時に見た「ガウディ」の建築群は今も忘れられません。

 前置きが中京テレビの番組「オモウマイ店」のように長くなっていしまいましたが。そんな個人的に大尊敬する、人生の14年先輩でもある杉山恒太郎さんの最新の本を読ませていただきました。
本書の中の「人の心を動かす広告とは?」の中で

「今の時代にエンパシーを生むには、フィクションよりもむしろノンフィクションが必要だと思うのです。SNSで共有・拡散がすぐになされるようなネット時代に突入したことで、作られたもののそらぞらしさがすぐにわかってしまうようになったんですよね。」(「マーケティング・リサーチャー」No.129.P23)(本書P45)

とおっしゃっていてまさに、私がコロナ禍の中で感じていたことがここに書かれてあるやん!と共感しました。なんか最近は「うそ」がすぐに見抜かれる時代やからこそ、フィクションを作るなら壮大なフィクションにせなあかん!ということやと思うのです!「こんな感じでええ感じやろ!」という論理の整合性や社会の正義を標榜した義務感だけで考えられただけの広告はほんまにすぐにわかりますよね。
 また、杉山恒太郎さんの発言の中で最も共感したのがP105のこのお言葉でした。

「日本語で「公私混同」というと、すごく悪い意味になるけれど、現実的にオンとオフの境目はないし、どこまでが遊び・学びで、どこまでが労働・仕事なのか分けることがなくなった。分けるとむしろ効率が悪いんだ。遊びの延長に仕事があり、仕事の延長に遊びがあると考えるようになってから余計なストレスを感じなくなった。」

と。まさにこうした感覚を持った、クリエイティブの先輩たちに私たちは教えを乞うて仕事をさせていただいていたのでした。2月まで勤務していた制作会社の東北新社グループで教えていただいた、今でもよく覚えている先輩の言葉があります。多分、薬師寺さんか今井さん(故人)かに伺いました。

「私たちの仕事は広告会社のお客様から仕事を頂いて売り上げをいただき、さらに仕事中や仕事が終わっての食事や飲みの席で、お客様からいろんなお話を伺うことが出来る。仕事をいただいて、さらに会社の経費などでご飯を食べながら、しかも、いろんなことを教えてくれて、自分が学べる仕事なんですよ!」

と聞いて。ほんまにそうやな、と思いました!刺激を受けた先輩(お客さま)の言葉から、また新たな映画を見たり本やアートや音楽に触れたりしたことはまさに至極の体験だったのだと思います。常に上を見て自らを高め続ける事。大変やったけど楽しいという感覚が広告制作の仕事にはありました!なので、この仕事をやり始めて、40歳くらいまでは、いつも会社を辞めようと思っていたのですが、結局、40年近くこの業界の仕事を続けてこられ面白がれたのは、杉山恒太郎さんのような方々を初めとする、そうそうたる先輩(あるいは、才気あふれる後輩たち)を見て来て、同時に教えられ、育てられて来たからなのかも知れないと、還暦を超えてようやく実感するのでした。

社会との接点を作る仕事が広告の仕事であるという杉山恒太郎さんのお言葉。カンヌライオンズ・フェスティバル・オブ・クリエイティビティ(旧:カンヌ広告祭)

でTVCMやデジタルの審査員を通して得た経験がそのような知見とつながっていったのでしょう。
杉山恒太郎さんは、10年前から、伝説的なデザイン会社ライトパブリシティで働き始められました。(現在、代表取締役社長)その勤務を通してデザインの大切さやデザインの持っている本質的な価値のこと、そして、デザインによって希望を作ることが可能であるという知見が、本書に書かれていました。それを読んで、杉山恒太郎さんは、今を真っすぐに生き続けている!という感じがして、とても清々しさを感じました!ある種、70歳代の青春真っただ中のおじさんみたいな。
 最終章では、元電通マンで今や思想家として活躍されている山口周さんとの対談もとても刺激的なものでした!特にP187からの、佐藤雅彦さんがクリエイティブ局に異動してきて外部の知らなかった世界から始めて、自ら広告の(CMの)制作の方法論を発見して行かれるという下りは読んでいて秀逸でした。山口周さんが対談を通して、予定調和にならない質問を敢えて杉山さんにされることによって緊張感が生まれ、より深い対話が行われていたことを感じさせてくれました!この「腹を割って話す」という感覚がメディアの仕事にとってほんまに大事やな!ということを今も実感しています。目の前の課題やめんどくさいことから逃げないで徹底的に向き合い続ける。その中からほんまの新しい「価値」や「共感」みたいなものが見えてくるんやないでしょうか?そんなことを、本書を読んで考えさせていただきました。

余談ですが、杉山恒太郎さんが出演されていた日立のインターフェイスの企業広告のことを覚えている方はいらっしゃいますでしょうか?私の社会人の新人時代にある種の私たちのヒーローだった恒太郎さんが広告に自ら出演してこんなことをやっていた!という。それは、まさに、当時の寺山修司さんがやっていた「プライベートビデオ」のようなものだったように記憶しています。検索しても出て来ません。まさにプライベートと仕事との融合のひとつのカタチやなかったのでしょうか?何年のこのCMとわかる方がおられたら是非連絡を!上京の折に、広告図書館で調べればいいのですが。


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