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注意書きで埋め尽くされてしまった声。

このポテトチップスは、全日本芋協会の許可を得た上で加工された芋菓子です。薄くスライスしており※1揚げられ少々硬くなっておりますので、角度や噛むタイミングによっては口の中を怪我する可能性があります。食べる際は唾液で柔らかくなるまで待つことを推奨しています※2。待たずにそのまま食べていただくこともできますが、その際一切責任を負いかねますので、何とぞご了知いただきたくお願い申し上げます。

※1 形状が落ち葉によく似ていますが、落ち葉協会にも許可を得て商品かしています。※2 柔らかくするために水を代用することもできますが、味の品質が落ちてしまう可能性があります。あらかじめご了承ください。

「めちゃくちゃこのポテチ美味しいから、食べて欲しいんだよね!!!」を伝えるために、このくらい注意書きしないと伝えられないのが、今の世界だなと感じる。幼い頃からなんでこんなに注意書きが多いんだろうと思ってたけど、最近は特に、人間が行う大抵のことに注意書きが付いて回って見える。本当の声を見分けるにも、能力が必要になってしまった。

「このツイートは批判しているわけではありません。」
「この撮影は緊急事態宣言前に撮影されました。」
「この写真はマスクしてないから投稿してはいけません。」
「この状況下での発言はパワハラにはなりません。」
...

–––––この人は、何が伝えたかったんだろう?

考えることさえ、本当の声を聞くことさえ、めんどくさくなってしまった世界になる前に。身近なところから、シンプルな言葉や本音を使い続ける生き方をしたい。大丈夫ちゃんと、私達は分かり合える。と思いたい。

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私はこれが、やりたかったんです。
いいと思ったから「いいね」って言いました。
きっとそれくらいのことで、
それくらいだから、一番大事。

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最近元会社の先輩と、そんなことを話たので、その記録。「良さ」「美しさ」「本質」とは、時代や人を選ばないところにきっとあるのだと思う。

おしまい。