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【生い立ち3】旅のはじまり


さて!そろそろ書くか!

次は旅に出た編と言って締めた気が…
前回【生い立ち2・超絶カオスな島流し】

https://note.com/haruga45/n/n9cdf94b5bbbe



ーー何が大事かわからなくなったーー

海洋高校に入り、海の世界で生きてきた人たちに一目惚れした。
祖父が漁師だったこともあり
前回でいうところの航海に出るまでは
船乗りになるつもりだった。

けど生き方暮らし方と向き合ったときに
うん…違うな…と違和感に追われはじめた。

じゃーどうしようってとこから吐くほど悩んだ
(超超超割愛)

自分は何を大事に生きていこう
両手に抱えられるものには限界がある

豊かさってなんだろう

学歴?おかね?夢?仲間?地位?好きなこと?

そもそも豊かである必要があるのか

そもそもなんで生きてんの?
いつか死ぬって全員共通して
唯一絶対なこと、だよね…?

産まれたその日から確実に死に向かって生きているわけで
それなのに死なないように生きて
死なないようにするために頑張って
頑張り方下手くそで苦しくて我慢して
死なないようにするための手段があまりにも本質からかけ離れていて

そんな深い海に陥りました。



ーー蓋をした感情が溢れてきたーー


高校受験の時にドサクサに紛れて蓋をした感情が溢れてきた。

その心は、『モノを作りたい』

アーティストという道と向き合うのがしんどくなり、泣きながら蓋をした、あの想い。

親父も母も美大卒の職業も美術系
みのまわりもそんな人が多かった。

自然と周りに期待され、自分の武器になっていた。
けどこれは、親や環境あってのスキルであって、自分で手に入れたモノじゃない気がした。

親への反抗もあって、同じ道を歩きたくなかった。

あの時、無理矢理蓋をした感情が溢れ出した。

もう、蓋はできない。

やっぱり何がつくるのが好きで、楽しくて。

でも高校生の間というブランクを感じた。
ライバル達はこの間も進んでいたはず。

そもそも、アートで食っていけるの?
食うって何?

ぁあ、親父ってすげーんだな…子ども3人食わして…
でも認めたくない。きらい。

この時には、もうこのエネルギーは誤魔化せなくなっていた。


ーーーー仲間が死んだーーーー

重なるものである。

自分のことで精一杯の最中
仲間が死んだ

1人は古い友達で1.2年前に喧嘩別れした子,
死ぬ前に「久しぶりに話がしたい」と連絡が来たんだけど、
喧嘩の意地と自分がドン底なのもあって、無視した。

その数週間後、そいつは命を絶った。


悔いた、ひたすらに悔いた。
きっと彼女は、プライドを捨てて最後の救いで連絡してきた。

自分が殺した気しかしなかった
「見殺しにした」なんて言葉はあまりに無責任で自惚れだ。
あたかも自分が親友であったかのような。
そう、自分にそんなこと言える資格はない。
もし彼女が崖っぷち立っていたのなら、
背中を押したのは自分でしかない。
親友の顔をした、何者かなのだ。

そいつや、家族、仲間に合わす顔なんてなくて葬式にもいかなかった。

しんどかった。ひたすらに。
結局葬式に行かなかったことも悔いた。

自分の存在意義ってなんだろう
大切な仲間の声さえ聞いてあげられなかった

こんなにも仲間に生かされててきて、
仲間✨とか言ってたくせに

最愛の友さえ守れなかった。

だから仲間大切にするなんて一生言ってはいけない。
けれどもうこれ以上失いたくないので、
戒めとして言い続ける。

何も守れない自分の生きる価値
自分に仲間をもつ資格はない

これ以来、誰よりも仲間を大事にした。

もう、これ以上失いたくない。

同時期、交通事故や病で亡くなった知人友人もいる。
人を失った悲しさに差はないけれど
悔しさに差はある。

この時決めた
守れないのなら友達にならない。

人と関わると言うことは
その人と時間を共にするということは
その人の僅かであっても一部になる。

その重みを、俺は忘れちゃいけない。



ーーーー旅のはじまりーーーー


もう何を大事にしたらいいかわからない。
何を優先順位の上に持ってくればいいのだろう。
考えてもわからなかったので、すべてを0にして
最初に手に取るものはなんだろう。
きっとそれが大事なんだって。

(脳内BGMはRADWIMPSのヤドカリ)

すべてを0にしたかったので
物質的なことでいうと、ほとんどのものを売った。

学生という肩書をなくすために先生に退学届をもらいに行ったが貰えず、紙切れに書いた

けど先生は「今は辞めるべきじゃない、これは預かっとく」って
だから休学でも退学でもない、ただの不登校になった

当時付き合っていた彼女とも別れた。
(まじごめん)

他にも諸々捨てて、旅に出た。

どうせここまできちゃったんだ。

何度も死のうとした、でも生きてる
じゃあ、生きてる限りやってみようと。



ーーーーインドへ行けずーーーー

最後の宿を出て小銭も消えて

金の尽きた僕は江ノ島の砂浜で萎えていた
(旅とかいって関東圏から出れてない件笑笑)


そしたら仲間から電話があった

「どこでなにしてんの」

「これこれこーで江ノ島にいてさ、もう行くあても行きたいところも金もなにもないよ」

「私もその状態だからとりあえず迎えに行く」

仲間が来てくれて都内へ連れてかれた
当時なりに、生きるってなんだろうって語ったんだけど…

語ったって答えなんてわからねぇえよ!

人生どん底の僕と友達は何故かインドへ行こう、ガンジス川で身を清めようと意気投合。

その日のうちに飛行機をとった

4日後の飛行機
それまでに金を貯めよう!

必死こいて働いた。
足りない分は友達が貸してくれた。

けど前日に申し込みの手違いで飛行機がとれていなかったのと
VISAをとるのに4日かかることを知らされ
…詰んだ笑笑

友達が言った

「海を見に行こう、海に叫ぼうよ」

(青春中毒かよ)

「私は東の海へいくから、陽我は西の海へいこう」

(海洋高校生は頭ん中海しかねーのか)

そんなこんなで、まだ上手く乗れないペニーに乗って
西へ向かった。
(ペニーのセンスがないこと知って捨てた笑)


ーーーーあとがきーーーー


また長く、自分大好きトーク。

けど今回は、当時の想いが蘇りしんどかった

もう忘れていたようなことも、
当時本気だった行動や想いは当時の鮮やかさのまま蘇る。
鮮明なほどつらい。

しんどいけど、今向き合ってここに書くことは
過去の自分の精算でありデトックス的
な?

せめて高校卒業するぐらいまでは頑張って書ききろうと思う。

最後まで読んでくださったみなさまありがとうございます。

では、次回たびのはなしで。

次回【生い立ち4・西の海へ】

https://note.com/haruga45/n/n7a766324d4de

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