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【生い立ち4】西の海へ

さて、そんなこんなで西の海を目指した。

(※生い立ちシリーズ1から読まないとわかりにくいと思います…)
前回【生い立ち3・旅のはじまり】

https://note.com/haruga45/n/nd2d21e11c325


ーーー膝と膝を合わす旅ーーー


西の海を目指す話の前に

ちょっと時を戻す。
この「ドン底期(笑)」になるまでは長期の休み等を利用して(いや、学校サボって?)ヒッチハイクの旅をしていた。

「日本一周✨」みたいなことはしなかったけど、たくさんの地を踏んだかなぁ。
おそらく本州は踏破している。

「観光地へ行く旅行」ではなく
「人間と向き合う旅」を。

だから観光地へは行かなかったが
とことんヒッチハイクして
とことん人と向き合い
とことん語って呑んで語って

流れ着いた場所で野宿したり
知らない人に泊めてもらったり
(リアル田舎に泊まろう)
ヒッチハイクのお礼に雪掻きしたり、
洗車したり、一緒にお墓参りしたり笑
リノベーションしたりバイトしたり
どこどこにこんな奴がいると言われればどんなに遠くても足を運んだ。

頭ごなしに怒られたり貶されたり
とことん見込んでくれたり
ウチで働かないかって言ってくれたり
飯を奢ってくれたり
仕事をくれたり

老若男女、あらゆる職種、地域、
とことんとことん膝と膝を合わせた。

そしてスナック巡りもしていたなぁ
(もう時効やろ)

ヒッチハイクで乗せてもらった車は数百台
それなりにエピソードも重なり
日本で味わえる最大限の旅をした気がした。


ーーー西の海を目指す旅ーーー

そんな経験もあり
この「西の海を目指す旅」でも同じ歩き方をした。

あの時はあらゆる人間の生き様を学ぶ旅だったけれど、今度はとことん自分。


「自分探しの旅」なんてよく言うけど、
探したって自分なんてどこにもいなくて

でも何も失うもののない自分の素を見せた時の相手の反応が自分だななんて思ったり。

旅中で出逢う人間は
基本的にはもう二度と合わない。
失うものなんてないからありのままの自分でいた。
だから
自分を頭ごなしに説教する人や見下す人はたくさんいた。

だから目の前にいる人の瞳越しに自分をみていた。

けど、その中の一握りが、共感してくれ
背中を押してくれ、一緒に歩いてくれた。

そんな方々は今でも繋がっているし、
どこで何をしていても応援してくれている。

この年の正月は
知らないおじさんに何時間も説教された。
図星でしんどくて、鳥取砂丘の海へ向かった。
(当時最寄りの海)

今思うとこんな砂丘で1人夜を明かすってそれなりにアホ


ーーー運命のゲストハウスーーー

鳥取砂丘の海で真冬(1月2日)に夜を明かした。

寒くて寒くて寝れなくて、そんな状況で
こんな精神状態だから、こんなにしんどいならこのまま日本海へ入ってしまおうかと思った。

けど明るくなってくると、人目も気になり寒くて仕方なかったので歩いた。
そして青春18切符の最後の一切れで京都へ向かった。

そしたら京都のとあるゲストハウスへ辿り着く。

そこは
「the.人間」がウヨウヨ蠢いていたカオス空間だった。

10個も20個も30個も歳上の彼らは
大人なのにキラキラしていた。
すっごい楽しそうで、苦しそうで。
それぞれが普通なら押し潰されそうな何かを背負いながらも、今を生きていて。

本当にクズで、バカだけれど
誰よりも生きることと向き合い
誰よりも自分と向き合い
誰よりも人間と向き合っていた。
泥臭かった。


ありがとうとごめんね
大好きと嫌い。
いただきますとごちそうさま。
おはようとおやすみ。
また会おうね、元気でね
助けて、今は1人でいたい。

それだけ言えたら、もう十分。

そんな素敵な大人たちと時を重ねるうちに

昨日まで真っ暗だった心や未来が
いきなり鮮やかで何一つ曇りのない絵になった。
死ぬ日から今日までを逆算した絵がみえた

以前のnoteでも書いたように
死ぬ時は死ぬ。
どうせ何度も何度も死のうと思った人生。
それなら、死ぬまでは思いっきり好きなことして、好きなことだけをして生きていこう。

もうこれ以上、
見えない不安と闘うのはやめよう
壁にぶち当たってから考えよう**

開き直ってそう語るのではなく
どう考えたって、壁にぶち当たってもないのに、壁の正体がわからないのに対策なんて出来るか!


「好きなことだけして生きていこう」
何より覚悟がいった

高校生の頃の自分からみたら
好きを生きることを笑う大人は、
好きを生きていなかった、諦めていた
好きを生きる薔薇の道を歩く大人は
苦しそうだけどキラキラしてた
甘くないその道を生きる人たちが
本当に自由な気がした
当時の日記より

そのゲストハウスではその後数ヶ月働いたり旅の拠点としたり。

そのゲストハウスで出逢った仲間たちは
ゲストハウスが亡くなり全国へ散った今でも
コミュニティとして生きている。

以前のnoteで書いた
「最初に拾ったもの」「大事にしたいこと」
は、「好き、楽しい、生きる」だった。



ーーーその恋愛、罪ですーーー

そこで最初に会った女性が
今までの自分なら興味なかったであろうはずのタイプなのに
何年か後の自分の近くにいる気がした。

そこにいたもう1人の旅人に、
あの人と結婚するのかなって言ったのを覚えている。

まー、その人が今も隣にいる。

当時、島の高校に通う高校2年生と
長野の限界集落が地元でそのに勤める社会人との恋愛だったから

会うのに1日かかったし、ある意味海外恋愛
(いや、未成年だったしある意味犯罪)

そんなこんなで
一度、作戦を練りに島へ戻った。

次回、
島を出る。(船に乗って卒業)
そして、移住を決めた理由。
海から山へ。

今までいただいたたくさんの恩を次へ贈るため、繋ぐため、地に足をつける。

そしてnoteの1番最初に書いた
村をつくる夢をみた。


ーーーあとがきーーー


日本でこんなこと味わえんのかって旅で
エピソードはたくさんあるけど

それはいつかあなたと出逢ったときの酒のつまみにでもしましょう。

たぶん嫁に出逢わなかったら
そのまんま海外放浪へいっていた。
当時の周りの人間が、
常に片足は海外にある人ばかりで、行くのが自然な流れだった

行きたかったな…ってのもあるけれど
たぶん歯止めが効かなかった。
いつか子どもと世界旅行へいこう。

ちなみにnoteの投稿は全部、20〜30分かけて書いているのだけれど
写真を探してくるのに2時間とかかかってる笑

貴重な時間をこの駄文に費やしていただきありがとうございました。


次回、【生い立ち5・海から山へ】



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