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プチオフグリットから始める無農薬無添加おにぎりキッチンカー開業の経緯

私は東京生まれHIP HOP育ち、悪そうな奴は、大体友達 YOYO(挿入歌 ドラゴンアッシュ) からの、約5年前に家族でエイヤーと岡山移住した。
予備知識は桃太郎のみ!不安と期待をお腰にぶら下げ、渡米ならぬ渡岡したのだった。(挿入歌 ももたろさん)

結果、サイコーだった。

今ここ岡山県和気町にて、子どもは3人に増え、2匹だった保護猫も4匹に増殖し、美しく歳を重ねていく夫と妻であった。(←最後のは願望)

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土の上で子育て。食について知ったこと

東京時代、仕事に育児に忙しい毎日の中で「安くて簡単で日持ちしておいしいもの」を求め消費し続けてきた私だが、移住して、価値観ががらりと変わる革命が起きた。
目から鱗ランキングを具体的に言うと、

・発酵食の素晴らしき合理的世界に魅了された。
・旬の素材の存在感。その力強さ、繊細さ、味の濃さ、香りたるぞを知った。
・自分の中にあった無農薬=虫食い野菜の公式は完全に間違いだった。
・伝統製法の調味料を使った引き算のお料理が、最強だった。

これら一つ一つについて語り出すと、一万字とかいっちゃうので割愛するが、私が知った地方移住の食に関するメリットは、超絶要点だけ言うと、

美味くて、元気。」(みじかっ)

しかしまじめな話、食においてこれ以上求めることがあるろうか。

東京時代、吸入器が欠かせなかった娘の喘息はみるみる改善されていった。
今や彼女は小学生になり猿山のボスのような振る舞いで、弟たちや近所の子どもたちを引き連れ、家の庭や近くの山や川で遊びまくっている。土日になると、私も泥まみれになって一日死ぬほど遊ぶ。

そしてお腹ぺこぺこになって帰ってくる。
米、うまいすぎる。
四季それぞれに美味しいものが、簡単に手に入る生活。
自ずと加工食品や冷凍食品を食べる機会は激減し、外食も減り、根っから食いしん坊な私は、なんでも自分でやりたがるようになった。

味噌、梅干し、麹を使った調味料作り等々、なんか難しくてめんどくさいんでしょ、って思っていたのも、なんにも知らないからであって。
やってみたらズボラな私でもあら驚き、思っていたよりめんどくなくて、それなりにちゃんと美味しくできるのだ。
山川の恵、農に携わる人々の仕事に、畏敬の念と感謝の気持ちが自然とわき起こる。全部、ありがたくいただく。

「シンプルで質素」ではなく、「シンプルで豊か」

ここは、車社会ではあるが1万3千人くらいのコンパクトな田舎まちで、程よいマチとイナカが融合しており「あれが足りない、これが足りない」と、わざわざ遠くの地から取り寄せなくても大体、町内、県内のもので生活が整うのだ。市街から20〜30分も走ればすぐ大自然。

なんというシンプル。

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するとすると、食から始まり、世の中にはびこるいろんな事象に疑問を持つようになり、東京時代、信じてまじめに取り組んできた離乳食の作り方とかは、もうやーめっぴだし、栄養のとり方や、サプリメントとの付き合い方や、はたまた住む家についても、家具についても、衣服についても、薬についても、病気についても、エネルギーについても、身近なところから色々と、モヤモヤ〜な真実が見えてくるのだった。

買わなくていいもんをせっせと消費して摂取して、その消費を補うための消費にまた金と労力をかけて。現代人て忙しいよなぁ。必死に働いてGDP上がる時代はもうおしまいだろうに。

現代においてもなお拡張したがる大量生産大量消費の構図が、恐ろしく地球に負荷をかけてる気がしてきて、人間て巨大な群れで生きようとするからそういうことになるよなぁ。
もう少し、小さい単位で暮らしてみたら、事足りたりしないのかなぁ。
と思う場面も増えた。

私はこの町の様々な恩恵を受けて、家族は健康になり、いろんなことがクリアになっていったと実感する。

例えば買い物も「私が思う、’本物’があるときに、必要な分だけ、買う。」
そういう軸みたいなものができると、必要なものとそうじゃないものの線引きがスッと入るというか。
「今日の晩御飯どうしようかな」とメニューを考えて買い物に行ったことはない。冷蔵庫の中を眺めて、使わないと危うい順に組み合わせるとメニューが閃く、みたいな。材料が足りなくても、なんか代用してなんとかする。そしてその料理は、なんていう料理なのかも分からない謎メニューが多く、「美味しい!また作って」と家族からリクエストされても、一度きりの伝説で、有名という。

バーゲン命だったこの私が、「タイムセール」「お買い得」「まとめて買ったら」みたいな文字には飛びつかなくなる変化にもびっくりだが、日々の買い物で消耗する脳みそはもうなくって、自分でこれは作れるな、とかこのたくさんいただいた野菜はどうやったら日持ちするかな、とかカッコよく言うとクリエイティブな方面に脳みそを使えるのだ。

こっちの方がサバイバルな感じで断然お得〜。

そしてその謎料理をご近所さんとかにお裾分けすると、けっこう喜んでもらえて、倍返しだ!とばかりに野菜や果物がドッカーンともらえるという。
ちくしょう、こっちも倍返しだ!また美味しいのできたら持ってってやるっていうループ。

お金を介さない物物交換は、気持ちよく楽しい。昔の人たちってこんな日常が当たり前だったのかな、と歴女の対極にある歴弱女は、江戸時代あたりにざっくりと思いを馳せる。

「シンプルに豊かに」っていう一見相反する状態を、手に入れることができるってことを知ったわけだ。

そして今のこの暮らしって、自分の子どものため、自分の家族のためというのが始まりだったわけだが、おせっかいおばさんは、地域の子どもにも目がいくようになって、栄養のある本物をいっぱい食べさせたくなった。

そして子どもも大人もせっかく目の前に広がる自然の中で、もっとたくさん遊んだらいいよ、と思うし、特にママ世代、この町でがんばっている魅力ある生産者さん達のストーリーをもっと知ったらいいのに!もっと食べよ!と思うようになっていった。

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そういう自身の変化の諸々を誰かに伝えたところで、真新しいお得な情報はないのかもしれないけれど、意外と地元の人たちって自分たちの土地の魅力とか、自分たちの魅力とか、気づいてないんじゃないのかな!?っていうこれまた余計なお世話なのだが、そんな経緯から勝手にこの町の広報大使をやっているわけだ。

はい、突然ですが見た目同じお米です〜。
こちらは慣行農法で、そちらは自然栽培。この値段の差になるのはどうしてでしょうか〜。チックタックチックタック。

はい、食器洗剤についてですぅ〜。こちらの食器洗剤は、川に流れて一瞬で魚が死ぬが、そちらの洗剤は、川は濁るが魚は生きていられます。値段は、死ぬやつに比べて死なないやつは、1,25倍くらいで洗浄力は、同じくらいですー。チックタックチックタック。

知った上で、どっちを買うか選択すればいい。どうやってこの売り場に来たのかを知らないで、CMに刷り込みされて、大手メーカー!安いし安心!これしかない!と思って、ジャケ買いをするのは非常にもったいない。
生産者と物理的に近いというのは、子どもの食育のうえでも、自身の生き方を深めるという意味でも、とても良い。

なので、自分の買い物の仕方が、巡り巡って、自分に、そして自分の子どもに還ってきているという考えが自然と腑に落ちるのに時間はかからなかった。

大げさかもしれないけど、これら選択の積み重ねが、この素敵な風景を未来残せるかどうか、に関わってくるのではないだろうか。

と、ここまでが前書きで、本題はまさかのこれからなのだった。
すでに3000字を超えてもーたので、おにぎりキッチンカー本編については、また次回。

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