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さあどこへ行こう――イ・ラン『アヒル命名会議』

 今いる場所で、少し世界を違う風に感じてみたくはない?帯文にある「すべてをゼロから問いなおす、13の物語」に違わず、イ・ランの短編集『アヒル命名会議』は世界を軽やかにひっくり返す。
 ゾンビのようなウイルスが広がり始めた世界で、どうするか話し合うカップルの話に始まり、神様のつくった生物を名づける会議や、映画の撮影に遅刻したばっかりに奇妙な運命をたどるエキストラの物語。ちょっととぼけたような、意表を突くような、シンプルだけれど真似のできない短編集だ。

折り合いのつかない世界で

 人と人とはしばしば折り合いがつかない、わかり合えない。そんな瞬間もさらっと描かれている。たとえば「韓国人の韓国の話」は、韓国を出てアメリカの大学院で学ぶ知人と、語り手の再会が描かれるが、二人の会話は平行線をたどる。この、「海外」(特に欧米)に行った人の、出自を恨むような気持ちと、「残った」人間の割り切れない感じ、両方が伝わってくる。また、「贈与論」では主人公に対し威圧的な家族が描かれ、何があったかははっきりしないまでも家族との不仲が全編を覆っている。登場人物たちはどこかずれた、折り合えない会話をし、でもそれって生きていてしばしば起きることなのだと読んでいるこちらはため息が出る。特殊な設定の話でもそこは変わらない。現実にはないような設定と、現実を切り取ったような会話の融合が見事だ。

女性の怒り、性


 そして本作では、現実やフィクションでもしばしば無視される、女性の「性」と「怒り」がよく出てくる。カップルで頼んだコンドームが隣室に誤配され取り戻しに行く女性や、アダルトショップでディルドを買う女性が主人公の話もある。それは「当たり前」のこととして描かれていて、それをとがめるような視線こそおかしいと問題提起している。また、ホースを切ったり服を燃やしたりと「怒り」を鮮明に表すのも女性だ。けして「ささやかな話」だけでなく、思いっきり行動している女性が多く出てきて胸のすく思いがした。

読み終わったあとは、爽やかで、どこへ行こうか、どこへでも行ける、という気分になった。

『アヒル命名会議』
イ・ラン作、斎藤真理子訳、河出書房新社、2020年

ほかにおすすめの本


松田青子『英子の森』河出文庫
こちらも短編集。『アヒル命名会議』のように、自分の常識をひっくり返す、フェミニズムのテーマのある作品だ。

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