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ただしく怖がるなんてできるのだろうか 映画『CURED キュアード』

 パンデミックを扱った映画『CURED キュアード』を観ました。

 感染するとゾンビのごとく人間を追い求め食らいつく病、「メイズ病」が大流行。その波はアイルランドにもやってきた。「感染者」のうち72%は治療が功を成し社会復帰できるようになるが、自分がゾンビのようになっていた間の記憶は消すことができない。彼らは人を殺した(襲った)トラウマに苦しむなか社会復帰を始めるも、元「感染者」への不安は社会を覆っていた。主人公のセナンは「回復」後、義姉(兄の妻)アビーと甥のもとで暮らすことになるが、彼の友人コナーは父に受け入れられず、元の職場にも復帰できなくなり孤独を深めていく。また、彼はセナンがどうしてもアビーに伝えられない秘密を握っていて……。

パワーゲーム

これをゾンビ映画だと思っていたのですが、別に「ゾンビ」とは一言も言っていませんでした。でも「メイズ病」の見た目、動きや人に襲い掛かるところはまさしくゾンビ。罹ると自分をコントロールできなくなるのに、治癒したあとその間の記憶を消すことはできない……。そのせいもありどんどん話は一筋縄ではいかなくなっていく。セナン、コナー、アビーや軍隊などそれぞれに思惑があるため、微妙なパワーゲームが展開される。

明確な「悪役」がいない。「誰が悪いわけじゃない」と言いながらひたすら事態が悪化していく様は、現実も変わらないのかなと思った。それに、「誰が悪いわけじゃない」と言いながら、いざ恐怖や怒りに直面したとき、誰にもそれをぶつけないことは出来るのだろうか。私は自信がない。


クライマックスにかけてはしっかりと「ホラー」だった。つまり、ハラハラした。そうしている間に、ちょっと面白いことに気が付いた。私は、「この人は助かって欲しい……!」と願いながら観ている。前にゾンビ映画を観たときもそうだったし、無意識のうちに「助かってほしい」人を選んでいるのかもしれない。本当は助かるべき人とそうではない人の違いなんてないのに。そしてゾンビ映画では、好かれるような良い人も悪い人と一緒に死んでしまったり、かと思えば嫌われそうな人も良い人も生き残ったりするのでそこら辺は上手く描かれている。誰々に生き残って欲しいというのは私の勝手な願いだ。


正しく怖がる?

 2017年製作の映画で、このタイミングでの日本公開(3月19日)。極限状態に置かれたとき、まともに賢くあり続けることはできるのかなと思いながら観た。多くの人が、「ウイルスよりも不安や過多な情報が怖い」と考えていると思う。

話は映画からそれるけれど、私は3年前、いわゆる「Jアラート」を聞いてからしばらく精神がおかしくなったことがあった。言い訳をすると、たぶん脅かすのが政府の目論見だったのだろうということ、これを機に「北朝鮮=怖い国」というイメージが作られていっているのだな、ということは頭では分かっていたけれど、精神の状態はぎりぎりで大学にいくのもやっとだった。私は昔から何かの拍子にスイッチが入ることがあり、一度入ると心配がやめられない。その時はJアラートがスイッチを押したのだと思う。

それからネット依存症になり、ネットニュースやツイッターを見ることがやめられなかった。自分に「情報収集をしてるんだ」と言い聞かせて。そんなことに意味はないのに、情報をひたすら詰め込んでいれば思考停止ができ、不安が軽くなる気がした。……そのうち、私は情報そのものではなく「誰が言っているか」を気にしているのだと気が付いてからは、見ることが減っていった。

「正しく怖がろう」という言葉を、これもネットのどこかで見かけた。私は「正しく」怖がる自信がない。「正しく怖がる」ことがどういうことかも分からない。まあツイッターを見ることではないだろうけれど。ただ、Jアラートの件で、私の精神はこんなに簡単におかしくなるのだとわかった。今もスイッチが入れば、あの時と同じ状態になるのではないかと恐れている。

『キュアード』に出てくる人たちは恐れていた。誰もゾンビのようにはなりたくない。自分の身を守ろうと、たとえ「回復者」でも一度罹った人のことは遠ざけようとする。怖い、分からないものは怖い、未知のものは怖い。自分は巻き込まれたくない。安全な生活を脅かされたくない。……自分の「権利」と人の権利が衝突したとき、冷静な判断は下せるだろうか。






今、Jアラートの件の反省を活かしていることがあるとすればこんな感じだ。


・SNSのタイムラインはみない。

・ニュースは紙媒体を見る(ネットニュースは扇情的な見出しが多い気がするから。あとついでにコメント欄も見て鬱々とした気持ちになるから)。

・ウイルスに関することは自分では書かない、シェアしない(良かれと思って書くことでも、見る人にとっては知らないうちに負担になっていると思うから。ただ、書くことで気持ちの整理をつけたり誰かに聞いてもらったりという使い方もあるので、書く人のことをせめているわけではない)。

おまけ:あまり慣れていない言語でニュースを読む(分かる言語で読むときよりも、ショックの度合いが減る気がする。私にとっては、同じ内容でもやはり日本語だとインパクトと言葉の持つ重みが違って感じられる。)






映画の不満点(ネタバレあり)


医師の女性が死んでしまったことが一番残念でした。彼女がずっと診ていた女性は、会話から察するにおそらく恋人。ええ、またレズビアンが死ぬのか。なぜ。この二人の場面は短いし、親子や姉妹、友人でも良かった気がするけれど……。監督には「レズビアンやクイアのキャラクターを入れたい」という思いがあったそうですが*、死別するカップル/友人/家族はこの二人だけ。ああでも、スリラー(でゾンビ系)で登場人物たちが死に別れない方が珍しいか……。アビーは夫を亡くした上に息子も感染し、セナンと離れるというラストだった。

思うところと仮定はあるのだけれど、ゾンビ映画は『アナと世界の終わり』『新感線 ファイナルエクスプレス』『ゾンビ―ノ』とこれ(をゾンビ映画と言っていいのかはともかく)しか観たことないので、他にも観てみないことには分かりません。


*こちらのインタビューより


作品情報

『CURED キュアード』

監督:デイヴィット・フレイン
主演:サム・キーリー
製作年:2017年
日本公開:2020年3月19日
上映時間:95分



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