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この「日常」が見える?—映画『アシスタント』

 若い女性が朝早く仕事に向かう。まだ誰もいない職場でコピーを取る。出勤した同僚にあいさつしながら資料を配る。気遣いも忘れずに。会長の机に水を運ぶ。重役が散らかした机を片付ける。届いた会長用の注射器やトイレットペーパーを棚に補充する。会長の妻からかかってきた電話―誰も出たがらない―を受けるのも彼女。その後、余計なことを言うなと会長から脅しの電話がかかってくる。彼女は謝罪のメールをする。男性の同僚らが彼女を気遣うのはこんなときだけだ。

 ひたすら、主人公ジェーンの仕事が淡々と映し出される。パンフレットにも書いてあったが、この映画の特徴はジェーンが働いているのが「華やかなエンタメ(映画)業界」だということだ。だがオフィスは暗く、灰色で、皆イライラしている。でもだいたいの職場がこうしたところなのだろう。
 私が映画好きになるきっかけとなった映画に『プラダを着た悪魔』がある。大学を卒業後ジャーナリストを目指す主人公はなんとか人気ファッション誌の編集長アシスタントの座にこぎつける。しかし、編集長は「プラダを着た悪魔」。毎日が理不尽な上司との闘いだ。『プラダを着た悪魔』は華やかなファッションも見どころの、楽しい場面が多い映画だった。編集長の要求も「ハリケーンでも構わずフライトを手配しろ」という派手さで、「現実」にはないだろうとどこか線を引き観られるものだった。
 だがこちらの「アシスタント」が見る世界はよりシビアだ。大学を優秀な成績で卒業しプロデューサーを志望しているのに、やらされるのは単純な仕事ばかり。その「単純な仕事」が周りを支えているのに、皆(男女問わず)横柄に振舞う。でも机掃除や昼食の注文まで彼女がやる必要があるだろうか?各々自分でできることなのではないだろうか?エライ人になるとできないのだろうか。アシスタントが会長の机へ水を運ぶ場面はドキュメンタリー『裸のムラ』(五百旗頭幸男監督)で、秘書の女性が何度も知事のグラスを拭いていたところを思い出させた。『アシスタント』も多くの女性の経験談が基になっているという。同じ目に遭った人、今まさに経験している人がどれほどいるのだろう。

 会長のセクハラに気がついたジェーンは会社に訴えるも、それすらもみ消されてしまう。マフィンを食べながらスマホを見るジェーンの顔は疲れ切って、何も打つ手がないといった感じだ。職場で力をもっている人こそこの映画を観るべき、なのかもしれないけれど、観ても何が問題かわからない人はいそうで怖い。

 映画のパンフレットもおすすめだ。「この映画の批評はぜひこの人に書いてほしいよね!」という豪華な寄稿者たち、監督のインタビュー、ブックガイドと充実の一冊。配給会社の、「この映画を必要な人に届けるぞ!」という熱意がパンフレットから伝わってくるみたい。

『アシスタント』
監督:キティ・グリーン
主演:ジュリア・ガーナー
2019年

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