見出し画像

タイトルのとおり 津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』

  2021年に『君は永遠にそいつらより若い』の映画の感想を書いた。今読み返すと拙くてつくづく恥ずかしいが、この映画にとても感動したのだ。このときは大学院1年生で、大学卒業間近の女性が主人公の本作に自分を重ねてもいた。それから2年経ち、大学院も修了して「大学」があっという間に過去の記憶になっている。そんな折、新宿の紀伊國屋で「津村記久子フェア」が行われているのを知った。『この世にたやすい仕事はない』『アレグリアとは仕事ができない』『八番筋カウンシル』『ミュージック・ブレス・ユー!!』。華やかでもなくうまくいっているわけでもない、「普通」の人たちの一瞬の交流を描いた作品ばかりで、どれも大好きだ。それでも、『君は永遠にそいつらより若い』は読んだことがなかったのだ。

 本作は、おもにホリガイという大学卒業間近の4年生と彼女が出会う同じ大学のイノギのことを描いた小説だ。酔っ払った他人の介抱をしたり、バイト先で失恋したりといった地味な日々のなかに、たまたま知り合った人々との時間が描かれる。

 津村記久子の作品の好きなところのひとつに、「違和感」の的確な描写がある。日常生活で感じる、「この人ちょっと嫌だな」「この言い方おかしくない?」といったことがさり気なく、でもしっかり書かれているのだ。例えば、本作でいうとホリガイが友人の河北と話す場面。河北は大学を中退し実業家になり稼ぎながら、色々な女性と遊んでいる。そのうちの一人、「アスミちゃん」は自傷行為をしており、河北はなぜかそれを得意げにホリガイに話すのだ。話に乗らないホリガイに河北は「自分になにも問題がないからって、語れる奴を嫉むな」と怒る。

語るための痛みじゃないか、それも他人の。そう言い返してやりたかった。(p.68)

 この「語るための痛み」(「それも他人の」)を聞く機会はしょっちゅうあるように思う。こうしたところに主人公が率直に怒りを表明するところが、とても好きなのだ。ただ、読んでいて私自身は河北の方に近いかもなと思って落ち込みもした。ホリガイやイノギはとにかく「誠実」な魂の持ち主なのだ(「正しい」とは違う)。だから「君は永遠にそいつらより若い」と言うことができる。三浦しをん『秘密の花園』の解説で、穂村弘が「この作品の主人公たちは軸がずれているのではなく、正確過ぎるのだ」というような鋭い批評を書いていたが、本作の主人公たちもそうだと思う。

お金がない、そして孤独

 わたしの交友関係では、河北以外にこういうものを食べさせてくれる人はいない。ほかのみんなは、丼ものやラーメンやカレーやハンバーガーや三百円均一の居酒屋のメニューで生きている。たまに焼肉をいただく。贅沢の種類はおとなになってから選択する。そしておとなになる日はあくまで遠い。
(p.57)

 津村作品の主人公たちはたいていお金がない。そして孤独で、ベタベタとした人間関係とは距離を置いているようにみえる。お金ないなあ、寂しいなあという日は津村記久子の小説を読みたくなる。上記の「おとなになる日はあくまで遠い」はまさに今の自分にあてはまることばだ。働いても、結局牛丼や安ーいメニューばかり選んでいる。でもそれに卑屈になるでもなく、かといってお金なくてもいいやというわけでもなく、淡々としているのがまたいいところだ。いつになったら「贅沢」を選択できるんだろうね。

映画と小説

 映画は2年前に観たきりだが、記憶をたどると原作の要素がうまく映像化されていたんだなと思った。映画ではホリガイを佐久間由衣、イノギを奈緒が演じている。ホリガイの真っ赤な髪がインパクトある。けれど、原作には別に赤い髪だとは書いていないのだ。『ミュージック・ブレス・ユー!』の主人公は赤髪だからそちらに合わせたのだろうか。イノギは、読んでいても奈緒のニット帽を被った姿が浮かんでくる。映画ではホリガイ、イノギ、吉崎、ホミネの4人の話を中心に構成されており、切ないながらそれぞれの人生の交差を丁寧に描いている。いま苦しいという人の背中を撫でるような強く優しい映画だ。フェミニズム映画でもあると思う。もちろん原作も。(ところで、奈緒は本作のあとに『マイ・ブロークン・マリコ』にも出ている。この映画も本作とつながるテーマをもっているように思う)。
『君は永遠にそいつらより若い』だって、『ミュージック・ブレス・ユー!!』と同じくらい何度も読み返すだろう。

『君は永遠にそいつらより若い』
津村記久子
ちくま文庫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?