見出し画像

それで十分だ『君は永遠にそいつらより若い』(9.17公開)

皆、それぞれ自分の中に「軸」があると思う。それが本だったり映画だったりする人もいる。私にとっては、津村記久子の小説『ミュージック・ブレス・ユー』だ(映画では『インスタント沼』)。『ミュージック・ブレス・ユー』を読めば、何があってもこれは譲らないという「核」のようなところに触れられる気がする。この本に限らず、津村記久子のインタビューや他の小説も読むと気持ちが落ち着く。

津村記久子のデビュー作『君は永遠にそいつらより若い』が映画化された。今月17日に公開されるこの映画を、今日試写で観た。

真っ赤な髪の主人公、堀貝がゼミの飲み会で就活の報告をするところから始まる。故郷で児童福祉士になることが決まり、あとは卒論を完成させるだけと友人にアンケートをお願いする日々。そのなかで一つ年下の大学生で、いつも帽子を被っている猪乃木に出会う。猪乃木やバイト先の後輩、友人との関係が描かれながら、それぞれの人生の一部が浮かんでくる。こう書くと淡々としていて無味乾燥に思える。確かに淡々としている、でもそれだけではない痛みと力があるのだ。

今だからこそのタイミング

原作はまだ読んでいない。2005年に出たというこの小説が、なんで今映画化されるのだろう?と思っていた。時代の違いか、ちぐはぐなところもあった。映画の雰囲気は2000年代初頭のローテーションで、少し古臭く思える感じ。堀貝も卒論のアンケートを紙で配っている。今だったらグーグルフォームを使うはずだ。そんななか、唐突にラインやツイッターが出てくるので少しちぐはぐに思えた。ストーリーとしてアンケートが「紙」でなければならない理由はあるのだが、ラインが使えるのになぜわざわざ紙でアンケートを?と思った。この映画にはガラケーやメールが似合う気がした。でもガラケーにするとあまりにも遠い話に思えてしまうのかもしれない。

それでも、この映画は今だからこそできたのだと思った。映画に出てくる人たちは、皆理不尽な暴力をふるわれた経験を持っている。それは彼女たちが「女性」「子ども/若者」など「弱い」とされる立場だから起こったことでもある。ジェンダーをめぐる問題を見ても、この映画が今公開される意味が分かった。
 さらに、キラキラしていない「ぐだぐだした、フツーの」女性が出てくる映画やドラマも当たり前になってきていると思う。堀貝はどちらかといえば悲観的で、自分ではどうにもできないやり切れなさを抱えている「フツー」の子だ。私は『勝手にふるえてろ』が、日本映画で「フツー」の女性が出てくる道をこじ開けたと思っている。誰かの彼女でもない悪女でもない、キラキラと活躍してもいない女性。今を生きている女性。性浴やセックスの話もタブーではなく当たり前のこととして話す女性。『勝手にふるえてろ』からバトンを繋ぐ形で出てきた映画は沢山あるけれど*、そこに続くのが『君は永遠にそいつらより若い』だと思った。今を生きている女性が、美化でもなく偽悪的でもなくただそこに居る。

津村記久子は雑誌『BRTUS』の2021年1月号で「生活を続けながら、正気を失わないために読みたい本」を紹介している。そのうちの一冊がメイ・サートン『独り居の日記』だ。

58歳の独り住まいってこうやで、と書いてくれたのがメイ・サートンです。(中略)華々しくもかっこよくもないことをガンガン書いて、人間58歳になっても悟りを開くわけじゃないし、それでOKなんやなと思わせてくれます。(中略)女の人だから耐える力があるとか、優しいとか、ある種の神話性に女性が押し込められ利用されてしまう状況があるなかで、メイ・サートンのこの感覚や怒りの表明は、そういうものへの抵抗にもなっています。(『BRUTUS』2021年1月・15日号, マガジンハウス, 48)

私にとっては、『ミュージック・ブレス・ユー』や『この世にたやすい仕事はない』に登場する女性たちがそう。小説ではずっと前からいたそうした女性たちが、映画でも観られるようになった。

そして、堀貝と猪乃木の関係!友人、親友、恋人、そういうカテゴライズはどうでも良い。名前をつけられない関係だ。映画に出てくる人は誰も「好き」と言わない。別のことばを使う。それが、関係を表すのにぴったりだった。堀貝と猪乃木の関係は、堀貝と猪乃木としか言えない。同じく、堀貝と同期のゼミ生として出てくる吉崎と、彼のサークル仲間である穂峯という男子大学生コンビも、この二人だけの関係があったのだと思う存在だった。

個人的も、20代の「今」観ることができてよかった。惹きつけられたようなぴったりのタイミングだった。その理由は次に。


『君は永遠にそいつらより若い』ということ

先に書いた「理不尽な暴力」に関して、津村記久子の小説はとても意識的だと思う。『ミュージック・ブレス・ユー』にこんな一節がある。

この男は、あたしがちょっととちくるっているということを知っている、とアザミは直感した。そんなこと二分も話したらわかるやろうよ、とチユキなら言いそうなものだが、そうではないのだ。力のある人間がない人間を瞬間的に見抜いてたわむれに捻じ伏せるような何かを、アザミは感じた。(『ミュージック・ブレス・ユー』角川文庫 76)

主人公のアザミが教師にバカにされる場面だ。この「力のある人間がない人間」を「たわむれに捻じ伏せるような何か」とそれに伴う痛みを、『ミュージック・ブレス・ユー』は随所で書いていく。原作を読んでいないので違いなどはわからないが、『君は永遠にそいつらより若い』でも何度も出てきた。映画は一部暴力シーンがある。そこは映像化しないで欲しかったなと思った。やっぱり観ていて辛い。
ただ、この映画(そして多分原作も)が好きなのは、力のない人間を「被害者」で終わらせないところだ。ねじ伏せられても、その後も生きているのだということをしっかりと描く。だからといって起こったことは消えないけれど、それも含めて。

「君は永遠にそいつらより若い」
「そのことばで十分だと思う」

堀貝と猪乃木の会話のように、そう言ってくれる本や映画があれば。公開されたら、映画館で一人で観たい。


『君は永遠にそいつらより若い』

監督:吉野亮平

主演:佐久間由衣・奈緒



*2019年公開の『21世紀の女の子』と『美人が婚活してみたら』も「今を生きる女性」を描いた映画。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?