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「新しい一年」は昨日の続き

 今年の年末は、初めて両親の家にも親戚の家にも行っていない。「年末年始」なるものに抗っている。一人でいると不安で仕方なく、仕事が始まるの嫌だなとか、年末の仕事でミスしていたらどうしようとか、お金ないなとか際限なくネガティブなことが浮かんでくる。家にいると時々どうしようもなくなる。
 それでも、親や親戚には悪いけれど、一人で過ごす年末年始はとても居心地がいい。私の両親はとんでもなくいい人だし、二人のことは大好きだ。でも、「家族で一緒に過ごそう!」「年末年始は家でゆっくり!」「旅行しよう!」みたいな「ノリ」が嫌いなのだ。特に雪が降ると、私は閉じ込められたような気分になる。だから、いつでも出かけられる身軽な状態でいたいと今は思う。(それでいて両親に連絡したりするから自分勝手だ)。

 年末年始の、とりあえず今年もお疲れ様!いったん忘れよう、という「流れ」に救われてもいるし、苛立ってもいる。クリスマスから年末の、あのみんなで消費しようみたいな流れは何なのだろうか。

 私が、かつて年が明ける前にこれこれを終わらせたかった、と嘆いたとき、母は「日付が変わるだけじゃん」と言った。そうだ。日が変わり、年が変わるだけで問題は解決しない。今年思っていたことは新しい今年でも思う。時間は連続している。「新しい一年」は昨日の続きだ。また年度が替われば「新生活」とか言うんだし。戦争も政治家のやらかしもなかったことにはならない。だから年が明けることを、そんなにめでたいとは思わない。そして、一人でいて、何も特別なことがないという自分に、別にそれで構わないじゃないかと言いたい。淡々と過ごしてこんなこと書いている時点で、恵まれているんだよ。

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