見出し画像

「あちら側」になる

前回「差別されたのはヨーロッパでなく、日本でだった。」というタイトルで、ヨーロッパから帰国した留学生に起こっていることを書いた。

怒り純度100%のこのnoteから数日たち、私の気持ちは楽しいと辛いを行ったり来たりしている。ある時は「大丈夫だ」と思えるようになり、おかしいと感じたら笑える、TVも見られる。けれど同じ日にパニックを起こし「早く帰してくれ」と思いながら泣いている。

私は傷つくのが得意だ。被害妄想がひどく、しょっちゅう「傷ついた」と怒っている。だけれど今回は、誰かに酷いことを言われたというレベルではない。本当に傷ついた時は傷ついたと思わないんだと思った。自分の中から何かが抜けていく感じ。


「あちら側」になった

 「あちら側」と「こちら側」、「弱者」と「強者」がいるとして、私は「弱い」立場に置かれたことはあまりなかったと思う(なかったのか気が付かなかったのか)。両親は裕福ではないし、色々な面から「強者」といえる位置にはいなかったけれど、大抵のことはなんとかなった……というか周りがなんとかしてくれた。

だから、選挙にもデモにも行き、「社会問題」についてのニュースを読みながらも、どこかで現実に期待していた。酷いことはきっと起こらないだろう。今までも「ひどい」「ひどい」と言いながら、「決定的」なことは起こらなかったじゃないか。「私の身」には「起こらなかった」、でも他の人の身には起こっていた「それ」が、自分に降りかかってくるなんて思わなかった。ニュースで「ひどいこと」を聞いた時、「可哀想だ」「あんまりだ」とその時は思う。でも忘れる。別の事故や災害できちんと補償や支援をしなかった国が、自分のときは優しくしてくれるわけなんてないのに。

私の経験したことと他の人が経験した苦しみはもちろん同じではないし、これで簡単に「あなたの苦しみはわかる」なんて言ったらそれこそ傲慢だ。
ただ、形が違うとはいえ問題の根本はずっと同じだと思う。


「自己責任」に振り回される

今回の帰国に関するごたごたで苦しかった一番の原因は「自己責任」にあると思う。家に帰るもホテルに滞在するも、結局は私の「決定」なのだ。「自粛」って何かに似てるなと思ったら、あれだ、「忖度」だ。「責任」の所在をわざと曖昧にして、最後は一番力のないものに転嫁する。

「やまない雨はない」と言いながら傘も、軒下さえも貸さない。

毒にも薬にもなる水がある。具合の悪い人には薬になるが、元気な人には毒になる水。この水は高額だし飲むのは一種の賭けになるから、飲まなくても罰されることはない。でもどちらを選ぶかは「自己責任」だ。


「飲まなければ良かった?嫌ならやめておけば良かったのに。でも、飲んじゃったんでしょ?お金払ったんでしょ?」

「えー、飲まなかったの?だから言ったのに」

帰国者が置かれている状況はそんな感じかなと思う。どちらを選んでも苦しかったかもしれない(今思ったけれど、現在の東京の「外出自粛」もそうだ)。


これから

 自主隔離中に、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んでいた。英国ブライトンで暮らしている著者が、「元底辺中学」へ進学した息子とのやり取りや学校生活を書いたもの。「誰かの靴を履いてみること」という章で、「エンパシー」の話が出てきた。


エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。(『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』p.75)

エンパシーは「能力」。私は「かわいそうだ」とは思ったけれど、どこかでそれを流していたか、気にしていなかったのだと思う。かわいそう、でも自分には「関係ない」。自分は「あちら側」にはならない、と。

 自主隔離の1日目、私は自分が「人間」だと感じられなかった。大げさだと思われるかもしれない。でも、「主体的に」「積極的に」行動できる自分が急に「駒」になったように感じた。「上」の思惑でいいように動かされる駒みたいだった。ブレイディみかこさんの本には人権と人権教育の話もでてきたけれど、今この状況って人権侵害じゃん。私人権侵害されてるって言っていいんじゃない、と思った。ああなんで、中学校で「人権」について読んだときそれが自分に関わりのあることだと思わなかったんだろう。教科書にあった言葉は記号のように目を滑っていって、自分が当事者だという感覚がなかった。こんなにも簡単に危うくなるもので、だからそれが侵害されることのないよう定めていった人たちがいたのに。

きっと、「駒」のように扱われた人たちはたくさんたくさんいたのだ。
「あちら側」になるときはいつか分からない。私も「働けなくなったら」など想像したことはあるけれど、本当にどんなことがきっかけで「困った状態」に置かれるか分からない。




ここ数日頭の中にあったものをそのまま綴った。でも今、状況が緊迫するなか、未だに「マスク2枚」がどうのこうのと言っていて、その間に「困っている人」がどんどん増えている。私の自主隔離期間は「2週間」という期限付きだけれど、自主隔離が終わってもこの問題は終わらない。だからこれからも言い続けていく。政府へのパブリックコメントにも送信しようと思う。ウイルスの蔓延が終息した後も、これは無かったことにはならない、なかったことにはしない。他の「問題」と、全ては繋がっている。根本は同じ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?