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帰国者の東京自主隔離レポート

帰国後東京での自主隔離を終え、先日やっと自宅に戻ってきた。このnoteは、帰国者対応の問題点を、私の実体験に基づき(というかそれしか基づいていない)まとめたものです(まだ引っ張る帰国の話)。尚ストレスにわりと弱い私の感覚での話です。そして、情報は私が帰国した時点でのものです。


0. 帰国準備

帰国の理由は前々回のnoteに書いたので省略。両親から「検疫が厳しくなるみたい」と聞いたのでニュースや外務省のホームページを見ていたが、なかなか情報が更新されず、正式な情報の掲示は対策が強化される1~2日前という遅さだった。自宅またはホテルでの2週間の自主隔離と公共交通機関利用の自粛。ただ名目は「要請」ということで、「テキトーに申請して自宅に帰ってしまおう」と気楽に考えていた。

1.空港に到着する~検疫

飛行機が空港に到着してすぐは降りられなかった。申告書が配られ、それに記入しつつ待機するよう指示される。申告書は3枚あり、1枚は帰国者が控えとして取っておくもの、もう1枚は住所や体調などを細かく記入するもの、最後の1枚には滞在先と移動手段を書く欄と署名欄があった。署名欄……?下には小さな文字で「虚偽の申告をした場合は検疫法に基づく罰則が適用される場合があります」と書いてある。ここで、私の考えは変わった。これは私が思っているより厳しいのかもしれない。

検疫場所は対策がしっかりしているとは言い難かった。間隔もあけず人が一列にずらっと並び、申告書を提出していく。そこで体調が優れない人やサーモグラフィーで熱があると判断された人は別のスペースに連れて行かれ、検温などをされていた。申告書を出すところから見えるくらいの位置で、スペースは簡単に仕切られているだけだ。呼び名が分からないが、テーマパークなどの待ちスペースで列を区切っているような、小さいポール同士にベルトが渡されているあれである。対応する職員はマスクを装着しているだけであり、かなり負担がかかっているように見えた。そういえば消毒液もなかった。
自己申告制なので何も言わなければするっと入国することができた。検査をされないことも不安だが、いわゆる「3密」と呼べそうな空間でじっと検査を待つのも感染が怖いという状況だった。私は体調は良好で感染拡大地域での滞在歴もなかったため、検査を受けなかった。


2.第1週

悩んだ末、東京で2週間自主隔離をすることにし、もともと予約していたホテルに1泊した。1番辛かったのはこの夜だ。自分が感染していたらという不安、ここまで来たのに帰れないということへのショック、理不尽な状況への怒りなどで、何度目を閉じてもすぐ開いてしまう。部屋が暗いことすら怖くてずっとスマホを見ていた。両親とは何度か電話でケンカをした。

翌日、新たに予約し直したホテルへ移動した。公共交通機関を使ってはいけないとのことだったが、徒歩で行ける距離ではなく電車を利用した。
ここら辺から私の行動に変化が現れる。「帰国者」だとばれることと自分が保菌している可能性が怖いため、顔をずっと下に向けて、人の近くに座らないようにしていた。特に年配の方が隣に来たときは、失礼だと思ったが相手のリスクを考えてすぐにその場を離れた。

一人でのホテル生活と外出自粛要請は最悪の組み合わせだ、とそれ以前に外出しないわけにはいかない。ご飯はコンビニで買い、部屋に清掃が入るときはホテルの周辺をうろうろしてなるべく早めに部屋に戻った。最初の1週間は常に「自分が発症した場合」を考えて行動した。人のそばには寄らない、同じコンビニを使わず1日ごとに購入場所を変えるか多めに買っておく。デリバリーなどは利用しなかった。これは特に理由がないが、なんとなくする気になれなかった。

自炊ができない、思うように外出できない、感染への不安というのは私にとってはストレスだったようで、眠れないことが多くなった。発熱した!と思って熱を測ってみたら全くの平熱だったことも何度かあった。のちに聞いてみたところ、母も私が発症した場合のことを考えてストレスを抱えていたらしい。私が発症すれば、「○○ホテルで感染者」と報道されホテルは営業できなくなるだろう。感染そのものへの恐怖とホテルで一人でいるときに感染することへの怖さと孤独を感じていた。


3.第2週

友人・知人さらにその知人に金銭的・精神的にかなりサポートしてもらった。おかげで2週目には慣れはじめ、本を読んだり大学関連の手続きを始めたりできるようになった。最初に泊ったホテルの延泊は検疫を理由に断られたため、そのあと2回ホテルを変えた(どちらも徒歩圏内)。それまでニュースが怖くてテレビが観られなかったが、それも観られるようになった。でもニュースよりグルメ番組などの方が見ていてそわそわした。「ホテルでの自主隔離」という「非常事態」が私の中では起こっており、でもテレビは人々が出かけてレストランで食事する映像を映す。現実と私が乖離しているような、私だけがおかしくなったような、「狂っているのは俺か、世界か」な状態が続いた。「なんで私だけが(私だけではないのだが)ホテルにいなければならないんだろう」「どうしてお花見なんか行くんだよ」と、関係ない人に筋違いの怒りをぶつけそうになる。私だって帰国前はたいしてウイルスのことを気にしていなかったくせに。1週間で見える世界が変わってしまった。 

2週目は部屋の清掃を頼まず、食料の買い出し以外はずっと部屋にこもって過ごした。急に東京での感染が拡大し始め、「ロックダウン」も聞かれるようになった。帰国前に感染した可能性は低いだろうと思っていたが、この時点では東京での感染が怖かった。


4. 帰宅

自宅に帰れる頃には既に「ヨーロッパからの帰国者」ではなく「東京から地方への帰省者」に注目が集まるようになっていた。それでもホテルから出て空港に向かったとき、少しだけ解放感があった。「堂々と公共交通機関を使っていいんだ」「隠れるようにして歩かなくて良いんだ」2週間ぶりに頭を上げて歩くことができた。
帰宅した後は自室に引きこもり、念のため家族とはなるべく接点を持たないようにしている。


5.問題点まとめ

今回の問題は、帰国者全員に検査をしなかったうえ(私が帰国した時点では)、その後の自主隔離をあくまで「要請」としつつ罰則を匂わせるという曖昧な対策をとったことだと思う。また、給付金を世帯主にと言っていることからも思ったけれど、「家族」を前提に考えすぎだ。私は両親に助けを求めることができたが、家族と仲が悪い、頼れる人がいない場合などどうしろと言うのだろう。政府には「父一人 母一人 子ども」(+「父」が働き「母」が家にいる)の家族イメージが未だに強固にあるのではないかと思う。

要請を無視して自宅に戻ったのち、感染が分かった人が責められていたが、自覚症状がないだけで同じように帰っていた人もいるかもしれない。結果的に感染拡大を抑止できず、要請に従った帰国者には金銭的・心理的負担を強い、さらに東京に残すことで感染リスクを高めるということになってしまった。これは帰国者・そうでない人の両方にとってまずい対応であったことは間違いない。

この「対策」は形ばかりのもので中身がちゃんと考えられていなかった……と思っていたのだけれど、その後の緊急事態宣言に関するものを見ていたら、形どころかやる気がないのだろうかと思えてきた。

2週間の影響は大きく、特に身体の変化を感じた。帰国者だと「ばれる」ことへの怖さから、身体を小さく縮めて行動する癖がついてしまったみたいだ。最近はひたすらストレッチをしている。

まだ東京に残っている帰国者はいるのだろう。こうなったら帰国者も何も変わらないと思うが……。



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