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白人として書いていた

 金髪の妖精、青い目の戦士、緑の目で白い肌の少女たち。

小さいころは「物語」を書くことが好きだった。妖精、竜、魔法など「日常」からかけ離れた設定を考えて書く、いわゆる「ファンタジー」に夢中だった。今は妖精と打とうとすると真っ先に要請と変換されるのなんかかなしいな。「海外」のファンタジーや少女小説、児童書がたくさんあり、どれも大好きだった。読んだ小説の真似をして書いていたのだろう。

 それらの主人公は「白人」だった。「白人」だと意識するまでもなく、「当たり前」として描いていた。名前もエリザやルーシーなど「外国の」名前だ。なぜか、一度も自分と同じアジア人を登場人物にしようとは思わなかった。私が書くファンタジーに黒人は出てこなかった。読んでいた小説に出てくる白人以外の登場人物は脇役だった。なにより、「人種が分かるように」書かれていなくとも「白人」として全て私は読み替えていた。

子どもの頃の空想に「人種」を持ち込むなんてナンセンスだろうか?でも、私は不思議なのだ。あまりにも当たり前に「白人」が物語のなかで活躍していたから。自分はアジア人なのに、アジア人を主人公にしようとは思わなかったから(自分はアジア人だという意識もなかったが)。

実際、白人が主人公のものが多かったように思う。これは本が出版された当時の状況や書き手・出版をめぐる環境、差別などの要因があるだろう。
あるいは、ある程度日本の出版文化・アニメ文化と関りがあるかもしれない。児童向けの本にはアニメ・マンガ化できそうなしっかりしたイラストが付いていることが多い。どの国の話でもたいてい「白人」(に見える)の「かわいい/かっこいい」男女が描かれていたのだ。なかには、本文を読むと黒人ではないか、あるいはどんな人種でも当てはめて読めるのではないか、と思うものもあった。そうだとしてもだ。良くも悪くもイラストが与える印象は強く、頭の中ではそのキャラクターで動き出してしまう。私は原作を読んでいないが、『ゲド戦記』のように日本でアニメ化した際に「白人化」してしまったという例も聞く。日本で作られたアニメを見ていると「外国人」あるいは外国にルーツがある人として登場するキャラクターには、まだ白人が圧倒的に多いように感じる。

「白人の女の子」に自分を投影し、ワクワクして読むしかなかった。本でも映画でもドラマでも、メインストリームで活躍するのは白人だったからだ。

今年観たディズニー映画『バズ・ライトイヤー』では、黒人女性とアジア人女性のカップルが出てきた。次の『リトルマーメイド』は黒人女性がアリエルを演じる。児童書は最近読んでいないので分からないが、白人だけが主人公でないものも増えているはずだ。STAMP BOOKSシリーズのように、世界各国の児童書・YA小説を揃えているところもあるし。

今、私が子どもだったらどんな物語を書いただろうか。少なくとも、もっと人種差別や白人中心の描き方に気が付いていたのではないだろうか。あまり「この書き方/描き方は「○○人」というと反対に「人種」を特徴化・ステレオタイプを強化してしまう恐れもあるように思う。それでも、白人がスタンダード化してしまっているように思うのだ。私は「白人」として書いていたなと思う。

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