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種はまかれていた

 日本がどんどん戦争をする国になっていて怖い。他の国の戦争や虐殺は対岸の火事ではないし、他の国のことでも多くの人が殺されたり人権を侵害されたりしている状況に恐怖を感じる。この瞬間にも、家で暴力を受けている人や家がない人もいる。私の生き方や仕事は何ができるんだろうと思う。いろいろなことがあまりに早く変わり、知識や積み上げてきたものが追い付けない。 

研究したことが身に染みてきたのは、大学を卒業してからだ。

 フェミニズムという思想や運動に大学で出会い、女性差別が社会の根底にあることに気がついた。世界の見え方、感じ方がどんどん変わっていった。けれど、大学を卒業してから、今までトランスジェンダー差別について女性差別ほど考えてこなかったことや、自分の「人間中心」の考え方に気がつく機会が多く恥ずかしくなった。さらには、大きなことを言っているわりには、親など身近な人にまったく向き合えていなかったことにも気がついた。確かに大学では、自分の世界の感じ方そのものを疑う方法を学んだはずなのに。大学を出てからも、自分の考えがいかに浅はかだったかに気がつくことばかりだ。足元がガラガラと崩れる感じがする。でもそのことを怖がらなくていいのだと色々な人から教わった。

  大学1年生のときに受けた授業で紹介されていた本で、私は「ジェンダー」という考え方を知った。その本は、ベストセラーと比べれば大ヒットしたわけではない。でも、その本は私をフェミニズムに向かわせたものの一つだ。それからいろいろあって、今の自分の生活へと繋がっている。
 大学の授業ことを知人に話したとき、その人に「種はまかれていたんだね」と言われた。数年経って、その授業が私に影響を与えたことを知っているからだ。確かにそうだ。色々な人が種をまいていたと思う。種をまいても何の成果もないかもしれないけれど、それがなければ一人の学生はフェミニズムを知らなかった。前にも書いたように、人の言動はその人が思う以上にまわりに影響を与えていると思う。
  働き始める前、おじいちゃんに「社会は厳しい」と言われた。働いて一年の感想はというと……うーん、どちらかというと社会は甘い。厳しいのはマイノリティにとってだ。マジョリティにはとても甘くできている。そういうことに気がつきつつ、私は日々の仕事に押し流されて考える力すらないときがある。理不尽だと思っていても言えない時もある。私めちゃくちゃ弱いな、いや、弱いのが悪いんじゃないんだってば。自分の中での日々せめぎあいだ。全てを忘れられたらなんて楽だろう。でも忘れた結果恐ろしいことが起きるなら、考え続ける方がいい。研究したことやフェミニズムは、私にとって羅針盤みたいなものだ。
まかれた種が気がつかないうちに根を張っている。


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