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末っ子離れ

 末っ子がアメリカに旅立って1週間が過ぎようとしている。
 末っ子、と呼んでいるが、別に実子ではなく、妹である。6歳離れているので、なんとなく末っ子と呼びならわしている。
 家庭内ではちびと呼ばれ、家庭外でもこの通り末っ子と呼ばれ、本人も「末っ子」である自覚があり、それゆえに甘やかされている自覚がある、らしい。
 その末っ子が、親元を離れ、きょうだいとも離れ、はるか13時間差のあるアメリカに旅立って、1週間が過ぎようとしている。

 末っ子は気が強く、こだわりが強い。夕食後にはリプトンのティーバッグしか飲まないし(日東紅茶なんか手も触れない)、基本的には学校が終わると寄り道もせずに帰ってくる。帰ってくると掃除洗濯などの家事を一通り回した後、絵を描いている。
 こうと決めたことはこうで、変えることはひとつもまからん、みたいな人間である。そのくせ、変に抜けたところが多くて、大学受験の折は模試をほとんど受けていないことが11月ごろに発覚して大ごとになったりした。受験日程だの受験校だの、そんなものは自分で組むものだろうと思っていた私が、結局8割がた組んだ。弟には甘やかすなと言われた。
 そんな具合なのだが、人を頼ることがあまり得意ではなく、人から物を借りるとか、人のおさがりを使うとか、そういうことができない。自分で、自分のものを使って、やりたいタイプである。基本的には。

 それでも自立心はそこそこ旺盛というか、変なところで冒険心があるタイプらしい。
 受験して、受かった2校のうち、彼女の選んだ学校は、カリキュラム内に最低半年の留学が組み込まれている学校だった。

 実のところ、両親が国際結婚組である。父親は沢木耕太郎の「深夜特急」のルートを辿ろうとした学生時代を経ているし、留学先で知り合った母と結婚しているバイク乗りだ。母親は、真面目に勉強してカリキュラム通りに生きていたら父親と出会ってうっかり恋に落ちて日本にやってきた。どちらかというとガチガチに家派だ。
 妹は母似だと思っていた。家が好きだし、家にいるし、危ない橋は渡りたがらないし、一人旅とかも全然しないし。これは弟も同じだが。
 だから、留学自体には一切の反対はなかったのだけれど、みんななんとなく、妹が留学するのはカリキュラム的に仕方なくなのかな、と思っていた。らしい。私は……うーん、なんか、本人が言動のわりに意識が高いので、行きたいんじゃないかなと思っていたが。

 意識が高いのである。というか、世界に対する理想が高いのである。なにせ、ちびちびと呼ばれて家庭内では無知側、年下側、未熟側、庇護される側に回り続けていたので、世界は自分の想定の上を行ってしかるべきだと思っている。ので、学友達が自分より無知だと「なんであんなに無知なのか」と愕然とするらしい。高校時代からずっとそうである。
 言っておくがきみのきょうだいと両親はね、一応国立大生やら国費留学生やらをやっておってだね、世間比だと結構知識が豊富なほうに入るのだよ。と、かれこれ5年弱言い続けているが一向に認識を覆そうとしない。「それはわかっているが、私にわかることが世間の皆にはどうしてわからないんだ」的言動は青くてかぁいらしいが、卑屈なんだかプライドが高いんだかわかんねえ。
 ただまあ、理想の高い人間がいないと社会って良くならんと思うので、長子としてはまあ、人を傷つけない程度にその思いを持ったまま現実を知ってもろて……という気持ちでいる。

 同じ大学の同級生の中には、彼氏や友達と離れ離れになりたくないから留学が嫌だとのたまうガールズがいるらしい。彼女は「だったらなんでうちの大学に来たんだ」とのたまっていた。そらそう。留学必須なんだから。
 逆に言えば、末っ子は留学を覚悟していた、というか、むしろ楽しみにしていた、ことになる。あんなにインドア派なくせに。

 思えば、ずっとちびと呼んでいた。6歳下なのだから、オムツこそ替えていないが「赤ちゃん」の時代をよく覚えている。なんなら病院で初めて面会した時のことも覚えている。
 妹はつむじの位置と数が独特だったものだから、生まれてすぐはキューピーちゃんみたいだった。ふわふわの髪の毛と、なんかちいちゃくてぺしょぺしょの赤っぽい手と、そういうのをつついている写真はばっちりしっかり残っている。
 生まれ落ちた瞬間から、妹は妹だ。弟もだけれど。姉は、兄は、姉や兄でなかった時代があるけれど、弟妹はそうもいかない。ずっと「誰かより小さい子」なのだ。可愛がられる子で、あるいは子分にされる子で、誰かの後にくっついていく子なのだ、と思う。長子なのでわからないが。

 留学先では、彼女は一人だ。厳密には同じ学校の学生達がいるのだが、大学在籍2年目にして未だに同じ学科には学友の一人もいないらしいので、ルームメイトこそあれど独りだ。
 孤独に弱い子ではない。末っ子の兄や姉たる我々きょうだいも割と強い。
 それでも、たぶん、妹にとっては今回の留学というのは、初めて長期間「ひとり」でいる機会なのだと思う。

 自分の感情を爆発させても受け流してくれる人のいない、無意識にあるいは意図的に甘やかす人のいない、何かやらかしても誰も手助けをしてくれない、変に干渉してくる人間もいない、ひとり。

 実は、きょうだいの中で自分だけは一人暮らしを経験したことがない。弟は就職して1年目の研修でなんか僻地に飛ばされまくってたのでちょっとだけある。私は、小3の時に言葉の通じない母方の叔父の家にプチ留学(3週間)をしたきりで、あとはずっと親もとにいる。
 だからかもしれない。部屋が広い。
 いや、だからとかではなく、物理的に広いのだが。妹と2人で1つの和室を使っていたので、物理的に部屋が半面空いているのだが。そもそも我々の部屋はリビングと襖でしか仕切れないうえに「閉めるとリビングの圧迫感がえげつないから」と襖を閉めることを禁じられている&半分リビング化しているので、別にかまわんっちゃかまわんのだが。

 昨日、妹から電話が来た。向こうにとっては日曜の朝、こちらにとっては日曜の夜にあたる時間帯である。現代って便利だ、LINEがあるのでWi-Fiしか使えない環境でも顔が見えるし声も聞こえる。
 用事を済ませるついでに、両親があれは大丈夫かこれは大丈夫か、と妹にやいやい聞いていた。枝豆を食いながら聞いていたが、声が明るかった。大変にローテンション気味の妹だが、推しバンドのライブ帰りなんかには如実に声が明るくなるタイプなので、相当元気にやっているなと思った。そもそも、あちらでは午前8時のはずなのに、朝に弱い末っ子が笑って電話をかけてきている時点で相当元気だ。あと機嫌もいい。

 小さい妹だった。生まれた時の体重が、きょうだいの中で断トツで低かったし。予定日より3週間くらい早く生まれてるし。いうて未熟児とかではないのだが、それでも、6歳も離れていれば小さい妹だと思い続けるには十分だった。なんなら比較的よく会ういとこ達の中でも末のほうなので、そりゃあ小さい子扱いも加速するってなものだ。だから、なんというか、しみじみとする。
 成人もしているのだ。小さい妹、物理的にはもう、3㎝くらいしか変わらん妹。いややっぱちょっとは小さいと思う、私も大きくはないので、これより小さいのだから小さいのだとは思うが。
 でも、決して120㎝ではないし、姉とおそろいのお洋服を喜ぶ歳ではないし(よく考えたら小さい頃から喜んではいなかった)、ひとりで留学しても食堂でバランスの良い食事をちゃんと選んで食べられる。まあ嫌いなニンジンを食べている形跡はないし、苦手な牛乳は飲んでいないようだが。電話口で母に言われてその日の朝は何かしらのシリアルに牛乳をかけて食べていた。ていうかなんだそのシリアル、虹色してるじゃん。やっぱそんな色しとるんか、アメリカのシリアルは。

 大人になっていたのだな、と。ぼんやり、そんなことを考えた。金を稼いでいるわけではないし、一人暮らしになったわけでもないけれど、手をつないでいなくたってどうにかやっていけるくらいには。姉の後にくっついてうろちょろしなくなったくらいには。

 さびしい、と言うと湿度がありすぎる。よかったな、と言うと距離が遠すぎる。上手く言えないのだが、そういう、何とも言えない距離と感情がある。というか6歳しか離れていないのに親みたいな感傷がある。やはり甘やかし過ぎただろうか。それはそうかもしれん。ケーキとか先に選ばせるし。でも親ほど心配もしていない。なんだかんだ20歳だし。

 末っ子は、今頃アメリカの明け方の空気に震えていないだろうか。いうて大丈夫なんやろけども。たぶん末っ子はきょうだいや親が思うよりはしたたかだし、元気にやっているし、大人なので。
 ただまあ、姉は十数年ぶりの、というかほぼ初めてのひとり部屋に、ちょっとだけまだ慣れんな、と思っている。
 まあなんだ。
 妹よ、誕生日おめでとうって話です。

 


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