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こうぞうおじちゃん

お寺のこうぞうおじちゃんが、年末亡くなったと聞いた。
こうぞうおじちゃんは、父方の親戚で、お寺の住職さんだ。
小学生の頃、大阪から横須賀のおじちゃんのお寺に遊びに行って、兄とふたり、こうぞうおじちゃんにかわいがってもらった。

こうぞうおじちゃんが、どんな漢字の名前かも知らないけど、
にっこり笑った顔と、欠けている前歯が忘れられない。


「いっしょに晩ごはん食べていきな。」

夕方遅くまで遊んでいると、お寺の横に建てられているこうぞうおじちゃんの家に親戚が集まりだして、みんなでごはんを食べるのが決まりだった。
夕飯の後はカラオケというのがお決まりで、
今から30年前の家庭用カラオケは、ちょっとしたタンスくらいの大きさだったと記憶している。
大人がカラオケしているのが退屈で、わたしはお兄ちゃんとふたりで、暗くなったお寺のお堂に探検をして遊んでいたっけ。お香の匂いのするお堂は、昼間は光光と明るいのに、夜になると本当に真っ暗になって、お寺の裏にあるお墓からオバケが出てくるんだぞって脅されて、小さな物音に逃げ回っていた。


おじちゃんとは呼んでいるが、わたしが小学生の頃からすでにおじいちゃんに近い印象だったから、昨年90歳後半まで生きて大往生だったのだ。

あの、歯の欠けた優しい笑顔は、もうこの世界では見れなくなってしまった。
おじちゃんは今、死んだ世界を経験して、何を思っているんだろう。


人は亡くなって、生きている人に愛しい思い出を残していく。
おじちゃんは、私の心の中では、若い頃のまま。
「いっしょにご飯食べていきな」って、頭をなでてくれた優しい笑顔のまま。
袈裟を着て真剣な顔でお経を読む、かっこいいおじちゃんのまま。

あぁでも、向こうの世界に行ってしまう前に、もう一度手を握りたかったな。とても大好きだったこうぞうおじちゃん。

おじちゃんとの思い出は、私の中の一部として生き続けている。

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