見出し画像

今にひそむ、過去世の価値観

自分でも驚いた、自然すぎる過去世の価値観について。
見に覚えのない人には、
今日の投稿は、どうでもいい内容かもしれないから
カジュアルな感覚で読んでもらえたら嬉しい。

ふぅーん、じゃああの価値観も過去世の価値観だったのかなと
自分の中で腑に落ちない不思議な価値観に対しても
心が軽くなってくれるととても嬉しい。


小さい頃から
現世では、どう思い返しても
納得のいかない価値観があって、
つい先週末も、やっぱり変だよねぇと思ったのだ。

私の育った家庭は
中級も中級、超裕福でも貧乏でもなく
贅沢はできないけど、生活に困ることはないというレベルだった。

こんなことを言う自分が嫌だけど
両親に対しては
「品がない人たちだなぁ」
と思って眺めていることが多かった。
ほぼ生理的に、そう思ってしまうのだ。
そして、自分はなんでこの人達が両親なんだろうと
違和感を感じていた。

食べ方に品がない
言うことに品がない

何かと目につくし、その人たちと家族だという距離感に
違和感と、生理的嫌悪感が湧いてくる。

そういう風に感じちゃダメだと思っても
それを打ち消すのが間に合わないほど直感的に生理的に感じてしまうのだ。

先週、仕事のイベントで
胸の高さほどのブースの上に乗らないと
そのブースにポスターを貼れなかったので
上司である彼から

「ブースに乗って貼ったらいんじゃない?」

と言われて

「そんなこと出来ないよ」

ととっさにすごい勢いで断った私がいた。


彼もちょっと驚いて、なんで出来ないか理由を聞いてくれたけど
理由というか、
生理的嫌悪感で「はしたない」事を人前ですることはどうしても許せないというのが本音だった。

人前で、高い台に登ることは
レディーのする事ではない、それはストリッパーのようなものだ
という恥ずかしさがあった。

ただ一方で理性的な自分が
「これは仕事だよ?割り切ってやんないとダメやん」
と言っていたけど、理性の自分より強い何かが、必死に抵抗して勝とうとしてくるのだ。

同じようなたぐいの事が仕事でこれまでにも起こっていて、
事務所の蛍光灯の予備をオンラインでオーダーしようと話しているとき
すぐ近くにあるヨドバシカメラに行って買ってきたらどう?と言われ
その蛍光灯を持って、歩いて帰ってくるのも
同じように生理的嫌悪感があり、レディーのすることじゃないと(こういうふうには言ってないけど)オンラインオーダーで押し切った。

数ヶ月前は、仕事の資料で、5キロくらいのものを紙袋に入れて持っていってほしいと言われて、
「こんなに重いものを持たないといけないなんて、なんてみじめなんだ。レディーのすることじゃない」
と思ったことがあった。

5キロなんて持とうと思えば持てるし
営業職の人が持っているカバンなんてそれ以上に重いことは知っているし
何しろ仕事だからやらなきゃいけない時はやらなきゃいけないのだ。

そうやって理性では納得しているのに
「なんでレディーがこんなことをしないといけないのだろう。
 なんで私の代わりにこれをしてくれる人がいないのだろう。」
とこっちのほうが直感的に、生理的に、強くやってきてしまう。

マナーインストラクターの資格もあるので
たしかに、淑女のマナーではそういったものはあるにはあるが、
仕事で、どうしてもやらないといけない時には
四の五の言わずに、やらないといけないのだという事も分かっている。

理性が勝ってほしいのだけど
今の所この価値観が勝って心を支配してしまう。


過去世で、箱入りの姫か、わがままな姫か、
とにかく高貴な暮らしを体験したんだろう。


無意味に持つ過去世はない。

過去世は、必ず、現世において必要だからこそ持っているのだから
この価値観は、いつかきっと、役立ってくれるときがくるんだと思っている。

そう、私達は、現世に必要な過去世を「選んで」持っているのだ。

あなたもきっと、
なんでここまで意固地にそう感じるの?と思うような価値観があるんじゃないかな。

どうしても、結局嫌われてしまうように思う自己肯定感が低いという感覚や
幸せになれないような感覚や
逆にポジティブに、
自分はぜったいなんとかなるという感覚や、
人とは違う特別な存在だという感覚や、、


過去世からの価値観は、必ずしあわせに繋がっている。
だから、カルマの精算だとか、
そういうふうに怖いものとして捉える必要はない。

あなたが持っているすべては、あなたの幸せのために存在している。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?