人間関係は過度な依存で壊れやすい



 人間関係を壊すのは相手への過度な依存によるのが大半だと思うところだ。そして、いわゆる社会不適合者ほど特定の人に依存しやすく、関係を壊しやすいジレンマがある。世の中に受け入れられにくい自分に理解ありそうな人に寄りかかりすぎたり、自分で依存先を複数獲得するのが難しい事が原因としてある。繋がりつくりゲームは弱者ほど困難になる現実があり悩ましいところだと思う。

 人とのつながれなさ・・・わたし自身の課題でもある。依存癖がある人は、自分からいろんな人に出会い、複数の人を追い続けて、依存先の分散をやり続けるしかないのかもしれない。順番に書きたい。

1.疎外されやすい人ほど、人との関係も行き詰まりやすい


 社会不適合者はなぜ人間関係を継続させにくいのか?自分を理解してくれそうな人に過度に依存し疲れさせやすい事が挙げられる。依存しすぎて人間関係を壊してしまう流れを書いてみる。

 人と関係をもつには、依存が必要である。精神的な安定にはバランスよく人に依存している状態が必要である。しかし、依存が過ぎると今度は相手への負担となり、関係のバランスが崩れやすい。これは、依存対象が少ない場合に、一部の人に過度に寄りかかってしまうことによる。自分のことを分かってくれそうな相手や、甘えやすい身内に対して自分への理解やケアを求め過ぎて依存過多となりしんどくなる。

 マイノリティ、あるいは社会的に弱い立場にあったり、世の中と噛み合わず不全感をもつ人は、自分や、自分の関わる領域について理解を示したり共感してくれる相手と話せると大変うれしく思うものだ。もちろん、運命的なものを感じる。しかし、他に自分について話せる相手が乏しいと、自分に理解を示す人に対して、ほどよい関わり方を超えて自分の受け入れを過度に求めたり、完璧な理解を求めたりしてしまう。それにより、相手に負担感を与え続けたり、相手がどうすることもできないことを何度も話すと、相手もだんだん疲労してくる。

2.真の理解者さがしで陥るジレンマ


 しんどい人や、いわゆる社会不適合者の置かれてる状況は複雑だ。社会構造、差別、さまざまな不運によりしんどい立場にいることが大半であると思う。また、しんどい人ほど余裕がなくなって、騙されたり利用されたり、変な人に関わってひどい目にあったり、事件に巻き込まれたりなど、話題もネガティブなことが多くなりやすい。自分の不運や恨みつらみ、他責や社会批判の言葉も出やすい。

 もちろん、当人が置かれた条件の不利性はあるし、社会的な問題、被害経験などケアされるべきだ。しかしながら、専門家や地位ある人でもない普通の人に個人の込み入った事情や構造的問題を話しても、共感や問題意識の共有はできるが、手がつけられない現実がある。なので、相手や状況を選ばず自己の被害経験ばかり延々と話すと、重くなってしまい、人も離れていってしまう。こうすると、ますます疎外感をつのらせて真の理解者さがしを加速させてしまう。そして、理解者と思われる人に出会うと、ひとしお自己の受け入れを求めてしまう。この人しか自分を理解してくれないとしがみつくと、共依存になり支配されやすくもなる。ちょっとでも理解してくれないと目くじらを立てるようになる。このような人に、すすんで近づこうとする人はやっぱりいなくなるだろう。

 同じような境遇で、孤立した人同士でつながりをつくろうとしても、被害者意識をこじらせた人同士が集まってしまえば、被害経験の承認合戦みたいになる。抜け出せなくなる。このように、真の理解者さがしで身動きが取れなくなり孤立する危険性もある。

3.白馬の王子様を待つ姿勢を変えていく


 世の中のノリについていけなかったり、人との関わりが上手くいかなかったり、社会から疎外されると自己肯定感が低くなる。自己肯定感は全て自己から生まれるものではなく、社会や置かれた環境から個人がエンパワーされてるかも大きい。しかし、この自己肯定感が低くなるとやっかいなのは、受け身の姿勢になりがちで主体性をなくしてしまうことにある。

 自分に自信があると堂々とできる。人にも話しかけやすい。自信があると自分のことを相手にも言いやすいし、相手の話を聞く精神的余裕も生まれる。自分で自分を肯定し、他人にも心配りができる。自分から積極的に他人と関わっていけるわけである。

 しかし、自己肯定感が低いと自分で自分を支えにくくなる。相手からどう思われるかとか、否定されないかなどの思いが先行して行動を抑制させがちになる。リスクのある行動をとりにくくなる。そうすると、自分からは人に近づきにくくなる。それでも、承認は得たい気持ちがあると、自分を肯定してくれる誰かを待つことになる。

 人見知りなども程度によるが、受け身の姿勢に偏るとやっかいにもなる。自分では動きにくくなると、今度は誰かのお膳立てを待つことになる。いわば、白馬の王子様が現れるのを待つ感じになる。

 当人の苦しみは、まずは親や家族、システムのせいであるし、本人の受けた苦悩や被害は同情されケアされるべきで、制度は変えないといけない。しかし、そればかり言っていて、不遇な自分をあやしてくれる白馬の王子様が現れるのを待つだけでもまた厳しいと思う。制度やプロが仕事として個人の底上げをする必要はあるが、自分のご機嫌とりや楽しみは他人にやってもらうものではなく、まずは自分から他者に働きかけて相互作用の中で得るものだとも思う。

4.みんな人見知りだ


 わたしが路上で人と話して何となく気づいたのは、わたしだけでなくみんな人見知りなんだということだ。みんな人を避けたがるのではなく、知らない人と何を話してよいか、話すキッカケがつかめないのではないか。だから、ネットやマッチングアプリが流行るのだと思う。ネットが普及したのは、つながりたい欲求と、みんなが人見知りであることが大きな理由だと思う。

 話しかけたら、警戒しつつも応じてくれる人は多い。嫌いだから話さないわけではないのだと思う。そして、直接話すことでよい感情に転じることもある。自分とは意見が違う人も出会うと挨拶を交わすこともある。知らないから、関わってないから相手を怖いと思ったり、敵視したり見下したりするのである。恐怖は無知からである。まずは、お互い顔見知りになって一言二言交わすことからだと思った。誰も先手を切って話さないから、自分から話しかけるしかない。また、先手を切って話しかけた方が自分を中心に話を展開しやすい。その辺は何となく頭ではわかってきたので、わたしも自分から人に話しかけていきたい。

5.相手を楽しませる


 仕事や活動、趣味などは人の連帯を生む。しかし、それらから外れる場合、人はどうすれば繋がれるだろうか?やっぱり、一緒にいて楽しいことが重要ではないか?似た境遇、同じような心の傷も人を引き合うが、一緒にいて心地良いとか楽しい気分になれないと、関係の継続は難しい。与える、つまり贈与の関係。他人を楽しませたり、動機つける、一緒に楽しみをつくる。共感だけでは、共感を求める形になりやすく、支配にも転じやすい。何かをともに取り組む関係がよいのではと思う。

6.連絡がとりやすい現代は、人間関係のこじらせを生みやすい


 今は電話だけでなく、LINEで四六時中チャットで他人とつながることができる。ネットで容易に他人とコンタクトがとれる現代は、人への依存もしやすい。程よい距離感を保つには工夫や技術も必要だ。わたしはTwitterのアカウントを消している。Twitterは無限に呟く事ができるから、話しすぎてしまう。承認欲求が出てくると、言葉がキツくなる。わたしは感情のエスカレーションがしやすい。Twitterは他人の言動が見えすぎるのもやっかいだ。四六時中、みんなが見えてしまう。くっつきすぎてしまう。わたしには程よい使い方ができず、一度離れることにした。たまに発信できるyoutubeやらnoteは続けて、今後どうなるかなというところだ。それでも、友だちは求めてます。コメントも待ってます。笑

7.複数の人を追い続ける


 他人と話しをするにはどうすればよいか。相手の土俵に乗ることだと言われる。この辺は、二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』から知恵を拝借した。恋愛においてモテる技術は、人としての話しやすさや他者との関係つくりにも転用できそうだ。人間関係は自然にできるのではなく、技術がいる。自分を顧みても、関係が続いてる人は、結局お互いが相手の土俵にある程度乗っているからなのだと思う。もちろん、乗れなければ無関係か浅い関係にとどまる。


 自分から他人に関わっていけない、あるいは他人の土俵に乗れない人は、防衛意識の高さがあると思う。もちろん、防衛意識は持つのが当たり前だ。逆に防衛意識を振り切るには頭のネジを外さないといけない。難しいとも思う。でも、人と話すにはある程度は、頭のネジを外して飛び込む必要もあるのかもしれない。モテる人はフットワークが軽いとか、ノリがいいとかの話にも通じるものがある。結局は、ノリのいい人同士は外に向かう関係がつくっていけるのではないかと思う。

 ちなみに、今はコロナ第7波にビビって、路上に行けず悶々とした日々を過ごしている。でも、わたしはこれまで路上に出て知らない人と話すことを繰り返したせいか、また外に出られたら話し相手をつくれるなというどうでもいい自信はある。話す話題はなんでもよく、とりあえず根拠のない自信があればよいのかもしれない。笑

 相手の土俵に乗れる人は、いろんな人に関わりやすい。よく言われることだけど、依存先の複数化が人間関係の健全化にもっとも必要だと思う。一人にこだわったり、居場所が少ないとそこにしがみつきやすくなる。一人を確保したら、そこに安住するのではなく次の人を見つけようという姿勢をもつことが大事なのかもしれない。常に人を探し続けて、自分からもできるだけ意識的にアプローチしていく。

 また、密な関係ばかり求めず、たまに出会う人や、知らない人とも話すなど、ドライにつきあえる斜めの人間関係やコミュニケーションも大切だろう。

 こう書くわたしも、人間関係をつくっては壊れての繰り返し。わたしも人との関わり方が下手だし、いい人にも面倒な人にも出会う。自分はいろんな人に会ってきたけど、結局はひとりになるんじゃないかなとしょっちゅう不安だ。寝込んだりもする。人との関わり方が上手くできる人は羨ましい。でも、人というのはそんなすぐ変わるものでもない。落ち着かない人は、どんどん人と出会っていくしかないのではと思える。人とくっついたり離れたり、たまに感情の上下を繰り返し、ジェットコースターのような人生を続けるしかないのかもしれない。

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