奢られるのは楽しい
ここ最近、よく人から食べ物をもらったり、ご飯をご馳走になる。友人にはじまり、旅先で知り合った人や、ヒッチハイクで乗せてもらった人、路上で知り合った人とか。
路上で通りがかった人に「ご飯ほしいな」と言ってみたらもらえることもある。お腹を空かせた人を放っておかないという負債感情が働くのだと思う。世の中まだ捨てたものではないなと心が温まる。
人に奢られるのは、単純にご飯が食べられるからよいだけでない。いろいろ得られるものがある。
・食が豊かになる
年収は低いくせに、ここのところ奢られたのでいいものを食べれた。あと、食ってだんだん選ぶものが偏ってくる。人からご馳走されると、普段自分が選ばない食べ物を食べられたりする。新鮮で楽しい。旅先では地元の食べ物をご馳走になったりする。この前はヒッチハイクで乗せてもらった人からインドネシア料理に連れて行ってもらった。なかなか自分が食べないものを食べられたりする。奢られると食が豊かになる。
・ハプニング性
たまたま出会った人からご飯をご馳走されるなど、思いもよらないハプニング性がある。また、知らない相手と食事しながら話したりするのは新鮮で面白い。どんな料理が出てくるのかランダム性もある。いずれにせよ、人と会って食べることは団らんとなり気分のよいことだ。
この前は旅先で偶然出会ったアメリカの美女と少し観光地巡りをして、食事に誘われラーメンや白玉をご馳走になった。たらふく食べた。
・獲得感を得られる
人に奢られるのも、結局は自分が何かしらした結果である。それで自分が評価されて、相手から特別扱いされてるわけである。
自分の振る舞いや話が面白がられてご馳走されることが多い。大胆にも街中で知らない人に声をかけて、ご飯をもらっちゃったりすると面白おかしい達成経験にもなる。
奢られると自分だけ出し抜いた感を得られたり、人から気に入られるという承認を得られて、それが快となる。
などなど。
奢られるのは、その過程で人と人とのストーリーがある。奢られることはエンタメである。
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