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疑いとは無知

こんばんは、大久保です。
この挨拶ですがアカウント名がHarukaなのに大久保です、と挨拶するのも変だなぁと思い、大久保、改めHarukaです。

さて今日は朝から何かと良いニュースに囲まれ、1日を良い意味でいそがしく過ごしておりました。そんな中、「疑い」という人の感情に触れる機会があったので、今日は疑う感情について深めてみようと思います。

結論から言いますと疑うという感情は「無知」から始まる、といことです。
「疑いを抱く」ということは、感情を抱く私が、あなたが、無知である、ということの表れであるということです。



「疑い」という感情は、22の感情のスケールの中の13番目「12失望」と「14心配」の間となります。(下に行くほど悲観度が上がります)まずは前提として、悲観的な感情にいるということをおさえておきましょう。

さて、どのような時に人間として疑いを抱くのか。
「この人は本当のことを言っていないかもしれない」「そんなにいい話があるわけないじゃないか」「うまくいくわけない!」そんなところでしょうか。あくまでもご自身の想定の中で物事を考える姿勢が伺えます。「(私は)この人が本当のことを言っていないと思う」「(私は)そんなにいい話がこの世にあるとは思えない」「(私はこれが)うまく行くとは思えない」と言い換えることができます。しかし、世の中はあなたの知る限りのことしか現実に起こり得ないのでしょうか?

答えはNoです、私たちが想像し得ないことが起こることを、私たちは知っているはずです。あなたの知識の中では実現不可能であっても、実現する可能性は十分にあり得るということです。それこそが楽観的感情でものを見る人の姿勢。そもそも「疑い」という感情を抱く方は悲観的な冷たい感情に浸っています。そして「自分」という殻にこもり、他者と自分を分け、線をひき、違いを明確にし、比較の中で生きていらっしゃる若く幼い魂たちです。

では成熟した魂は?というと、温かい感情を抱くものです。他者と自分を分けることなく何者にも平等に接し、無償の愛を持って全生命体と向き合う魂たちです。彼らはそもそも「疑う」という感情を持ち合わせていません。全てが愛につながると、全ては素晴らしい結果につながると信じているからです。その「疑う人」ですら、まだ無知で幼い愛おしい魂と愛の目で見ることができるのです。

身体の年齢に関わらず、魂の年齢は様々です。身体年齢が60代でも70代でも幼い魂は悲観的な感情の中にいますし、20代でも30代でも成熟したハートフルな魂を持つ人もいます。悲観的な感情を持つことは決して悪いことではなく、これからまだまだ伸び代がある、ということです。身体の年齢のように365日で1つ大きくなれるわけではないのがこの魂レベル。未熟な魂は何度も転生を繰り返し、魂のレベルを上げていくわけですから、今回の1回の人生でどうにかできる問題ではないので、ご安心ください。

少し話がそれましたが、何事も「正しく知らないと疑いが始まる」ということです。曖昧な部分だけで判断をする、そうした安易さが疑いを生む。正しい情報に触れることそしてバイアスをかけず、物事の本質を見る力を養うこと、現代のSNS社会で問題になることを紐解くと、「無知と比較ー幼い魂の傷つけあいー」というところでしょうか。

真実を知ると、疑いという感情はスーっと消えていきます。
ではその真実とは何かー、それについてはまた気が向いたら書こうと思います。

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