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端的に言うとね、きみの全部が愛おしい



柔太朗くん見ていると息がしやすくなる。

結成9周年でM!LKがグアムに行っていた日、眠る前に個人ファンクラブ「+KIRARI」の投稿を見た。動画の日記で「グアムの海です」って真っ暗な背景を共有してくれた。再生ボタンと同時に音量を上げる必要のある、細くてゆるくて低い声。ふ、って笑って暖かくなってきた布団に潜り直したとき、あ〜好きだなあってふかく息をして、そう思った。

昨年の5月に美しすぎるアイドルに心を奪われて、M!LKを好きになって、2回目のお誕生日。私は本当に山中柔太朗くんに感謝をしている。


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私には所謂「推し」と称して応援している人が複数人いる。同じグループにもいるし違う事務所にもいる。深度や時期を問わなければそれはもうたくさんいる。誰が一番好きとか優劣はなくて(そりゃライブの日程がドン被り!とかなれば優先順位は生まれるけど)、それぞれが全くベクトルの異なる、ひとりにひとつの「好き」の枠にいる。

そんな中で柔太朗くんを見ている時間は、穏やかで一点の曇りもない、やさしい色みをした世界の真ん中にいられる。ずっと。ずっといられる。それは間違いなく柔太朗くん本人の持つ雰囲気や人柄のおかげだ。


去年、21歳最初のお知らせが写真集発売だったの、本当に嬉しかったな。発売までのワクワク、書店からも買いたくて駅に走った当日、見返すたびに惚れ惚れとしたため息が出る、予想をゆうに上回るクオリティー。あの期間を通して私は写真集という作品が大好きだと改めて思えた。そして22歳最初のお知らせはカレンダー発売だった。んも〜〜最高すぎる。ありがとう。

静かな情熱や闘志を心の奥で絶やさずにいられるところを尊敬している。燃え続けているというよりは、ずっと同じ熱でひそやかに滾らせているイメージ。ふわふわゆるやかで、波のないところにいるように見えるのになぁ。12月8日のブログは宝物。というか最近のブログ、宝物率(?)が高すぎる。何気なく考えている大切なことを、ポンと重くなりすぎず置いていってくれる、そういう場所にブログを選んでくれている事実がとても嬉しい。

静かな情熱で言えば、個人でデザインしたグッズを紹介する配信が強く印象に残る。ブランドを立ち上げる話もいただいたこと、でもまだそのタイミングではないと感じたこと、「本当は匿名でやりたい」と言っていたのが格好よくて仕方なかった。好きなことに対して質で勝負したい本気の熱を感じて、言い方が偉そうだけど本当にこの人は信頼できるな、ずっと信じていたいなと思えた。サカバグスマホスタンド、大切に使っています。

自分の姿が他者からどう見られるか、発する言葉がどの範囲にどう伝わるか、日常的にきっと無意識に、思考を巡らせられる人。でも、こう見られるからと自分を取り繕うのではなく、様々な目線を理解した上で自身は軽やかなまま、その目線をも受け入れる懐と余裕をもっている人だなと思う。軽やかさを保ったまま芯のある言葉を紡ぐって、誰にでもできることじゃない。本当にすごい。絶対に真似できない領域のすごさ。

冒頭に書いた個人ファンクラブではゆるゆるなところも大好き。深夜テンションで真顔でふざける柔太朗くんにその通りだよ〜〜〜!!!あなたがこの世の正義!!!とアホになれる時間が最高に楽しい。最近で言えば10月10日の動画が大好きです。

自宅のWi-Fiが壊れて大好きなゲームができなくなった結果、一時的にびびるほど配信頻度が高まったときも最高だった。これだから柔太朗くんが大好きだと思った。優しすぎる、自己犠牲の人、と言われるし、本当にそんな人だとも思うけれど、程よく素直に「無理をしていないと思わせてくれる」ところに助けられている。器用だよね。軽やかなままでいられるってたぶん天性の力だ。彼を推している間ずっと心が健やかな一番の理由はここにある。


グッズや衣装異次元の角度から飛んでくるYouTube企画など、0から1を創り出せる想像力の豊かさ。それをひけらかさない姿勢。頭の回転が速いおもしろさ。キラリのグルチャの最後に「付き合ってくれてありがとう」なんて言ってくれるところ。いつでも下手に出るし、謙虚だけれど、自分を好いている人たちの前で自身を卑下することは決してないところ。そういう一面から、ちゃんと根底で自身を認めて大事にしているのだろうなと思わせてくれるところ。「M!LKが好き」「幸せ」という言葉を躊躇なく口にしてくれる愛に満ちた心。きめの細かい相手主体の思いやり。

本当に、柔太朗くんの全てが大好き。「たいせつ」って言葉がこんなにも似合う人は他にいない。自慢のスーパーアイドル。


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鈴木愛理ちゃんの『最強の推し!』という曲がある。

今日も幸せ願って止まないよ
あなたが笑ってくれるなら見返りなんていらない

鈴木愛理『最強の推し!』

私はもともと「推し」と「オタク」が描かれた作品を好む方ではない。わかるwwwってケラケラ共感しながら見る一方で、本当にこの世界を知っているのかと心の奥で毒づいている。絶世の美女(かわいい)にパジャマとメガネ姿(かわいい)でズボラな女子(結局かわいい)を演出されたところで乾いた笑いしか出ない。でもそんな捻くれ思考を吹き飛ばすほどただただ愛理ちゃんがかわいいからMVを観ていて、この一節を聴いた。

無償の愛とか至高の愛とか言うけど、推しとオタクの世界って、私はもっとどろっとしていると思う。愛情に見せかけた赤黒い欲望をキラキラした包装紙で丸め込んで、差し出す振りして押し付けるような、お金が間を走るときにだけ双方が向かい合える関係性。オタクって楽しい!生活の全てになるほど熱中できる「好き」があるって最高!って気持ちと、生身の人間にそこまで没頭しているグロさを考えて冷静に自身に引く感情が、ふと気を抜くと格闘し始める。

でも、柔太朗くんに関しては、「あなたが笑ってくれるなら見返りなんていらない」って言葉を、信じられるのだ。推しがいる生活って楽しいんですよと商業的にキラキラだけが描かれた光景を前に、この感情には覚えがあると胸を張れる。だって本当にずっとまっすぐ楽しいから。柔太朗くんが見せてくれる世界に、120%満足しているから。

私の世界と交わる必要はないしそんな欲もない。ずっと笑っていてほしい、一人で泣かないでほしいって思う。でも仮に、こちらの願いが重荷になるのであれば、例えば笑うのだって疲れるんだよとか、一人で泣きたいときもあるんだよとか、あなたの「本当」にそういう気持ちがあるのならば、私の願いは何も叶わなくていい。そんなことを本気で思う。

自分がそんなふうにアイドルを想える日が来るなんて思っていなかった。私が柔太朗くんを想うこの感情って美しいでしょとか言うつもりはない。そんなこと言うつもりはないけど、こういう感情を抱かせてくれる柔太朗くんって最高でしょとは言いたい。前述したようなどうしようもない欲望で嫌になる瞬間が別軸では確かにあるからこそ、柔太朗くんに対してまっすぐに幸せを願えることが尊くて、嬉しくて、心地よくて、ありがたい。


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私は音楽を聴くとき、その歌詞からふと推しの誰かを思い浮かべるときがある。歌詞から柔太朗くんが浮かぶ曲はどれも楽しく明るい、まっすぐに愛を唄う曲ばかりだ。



端的に言うとね、君の全部が愛おしい

タイトルは大橋ちっぽけ『常緑』より。
※正しい表記は「君」


柔太朗くん見ていると息がしやすくなる。
そんな存在と巡り逢えた私は本当に、幸せ者です。

M!LKに出逢わせてくれて、毎日幸せな、あたたかい気持ちをくれて、ずっと信じさせてくれて、いつも美しくいてくれて、ありがとう。
22歳の柔太朗くんが柔太朗くんらしく、軽やかなまま伸び伸びと過ごせる世界でありますように。

お誕生日おめでとうございます。だいすきだ!



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