桃太郎理論

おばあさんは川へ洗濯に
おじいさんは山へ芝刈りにいきました。
川で洗濯をするおばあさんの元に
ひとつの大きな桃が流れてきます。
おばあさんはその桃を持って帰り、割ると中から子どもがでてきます。

これが桃太郎のストーリーの始まりです。

ここまでのストーリーには既にポイントが2つあります。
まず初めて見るくらいの大きな桃を持って帰ったこと
次にそんな大きな桃を割ったこと。

多くのひとは、見たこともないくらいの大きな桃をみたとき
すごいけど、なんか怖いなぁ と思うはずです。
そんな大きな桃を割るなんて、
もしかしたら爆弾が入っているかもしれない とか
なにかの罠なのかもしれない などと、
興味や好奇心よりも恐怖や疑念を抱くと思います。

でも結果的に桃は桃で、
その中から子どもがでてきて
良いことが多く起こりました。

わたしはこれまでいくつもの桃をスルーしてきたか、最近よく考えます。

高校は地元の普通科の進学校で、
大学も4年生大学を出なきゃならないと思っていました。
新卒では大手の金融機関に総合職として入社をして、
これで大丈夫だと思っていました。

考えてみれば、アルバイトや習い事など、
誰かに守られているときや
主軸が別にあるときは
やりたいことをすぐ口にしたり
行動することができていたけど、
大人になって、お金を自分で稼いで生活をしていく中で
自分が傷つかないように守ったり、
いかにして今の生活水準を守るか、
両親を安心させられるか、普通でいられるか
そういうことばかり気にしてしまっていました。

平凡な生活の中で大きな桃が流れてくることって、そうそうないことだから
その桃をうまくキャッチできるか、
割って中を確認できるか、
これができるとレールを外れた先の
知らない未来を知ることができるのではないかと思います。
逆に、タイミングを逃し、桃を手にいれることすらできなれば
ずっと精神も生活も今同様、代わり映えのないものになってしまう。


私はもちろん、いまこれを読んでいる貴方にも
挑戦してみたいことや興味があることがあると思います。
今がそのタイミングじゃないとしても
桃が流れてきたそのときに
覚悟を決めて手を伸ばせると
新しい未来や、なりたい自分に
一歩近づけるのかなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?