「怖い」を忘れた人
物事に対してちゃんと「怖い」と思うことは大事だと思う。
なんだったら何も感じないでズカズカと進んでいく人が何より怖い。
でも社会的にはそういう人の方がカッコよく見える。
たくましく見える。
うまくいっているように見える。
でも実際良く見てみるとそういう人は知らぬうちにダメージを貯めてしまっているし、また周りの人たちも大いに傷つけているようにも思う。
僕はどうしてもそういう人たちを好きにはなれない。
嫉妬ではないと思う。
社会に出た人たちを見ていると、何かそういう変な当たり前がいっぱいある。
「こんなことで怖がっていちゃやっていけないよ?」みたいな上から目線で見てくるが、その進んでいる先に何があるのか、とても気になる。
それを大人になるというなら、僕は大人になりたいとは思わない。
その当たり前はとても怖いし、自分がそういう人間になることが何より怖い。
これは綺麗事でもなんでもない、これを綺麗事ということ自体が綺麗事だ。
人間が人間らしさを殺したら、何が残るというのか。
「怖い」というのは重要な危機管理センサーだ。
成長というのはこのセンサーの精度を上げることでし、それの対処方法を知ることだ。
そのセンサーをぶっ壊してしまったら、もう何もわからないのではないか。
もっと感情というものを大切にした方がいいのかもしれない。
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