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断捨離しても意外と平気だったもの②卒業証書

タイトル通り、私が断捨離しても意外と平気だったもの②は、卒業証書である。

と言っても、私が処分できたのは幼稚園〜中学生の頃までだ。

卒業証書はとにかく嵩張る。大体は学校側が律儀に筒に入れてくれているので、思い出箱の中で結構な幅を利かせている。

それらを断捨離することなど考えもせず、長年大事に取って置いたが、ふとただ置いているだけで全く見たりしていないことに気づいた。

大事な書類なので捨てられないものだと思い込んでいたが、調べてみたらそうでもないらしい。

義務教育の場合は、卒業を証明する機会というのがそもそもそこまでない。

またそれ以降の高校・大学などでは卒業証明書といったものが、卒業後でも学校に依頼すれば発行してもらえるらしい。

そういえば、以前成績証明書なる書類を発行してもらったな…ということもふと思い出した。

極端な話、最終学歴のもの以外は、処分してもそこまで影響はないのだ。


齢三十を超えると、過去の自分が多少なりとも、今の自分と別人格のように思えるときがある。

人から思い出話を聞いた時とか、「なんでそんなことしたんだろう?」とか「そんなこと言ってたの!?」とか、我ながら信じられないようなことをしでかしている時がある。

今の自分は、過去の自分の地続きで、延長線上にいる存在ではあるが、同時に別次元のような存在でもあるのだ。
正直、恥ずかしすぎて切り捨てたい過去も多々ある。「黒歴史滅却光線」みたいな技が使えれば、当時のクラスメイトの脳に照射して消し去りたい記憶が大量にある。

けれど現実にそんな技は使えないので、せめて今の自分がしんどくないように。こうして手元にあるものを整理する。

そうして、恥ずかしい思い出を誰かに掘り起こされないよう、どこかで密かに祈りながら日々を過ごすのだ。


忘却とは、時に悲しいものでもあるが、恥ずかしいことも記憶の彼方に追いやってくれるので人間には必要なのだろう。
そんなわけで脳の仕組みにまで想いを馳せながら、今日も断捨離を行うのだった。

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