見出し画像

アクアリウムが精神衛生に良いという話

1ヶ月ほど前にアクアリウムを始めた。前々から興味はあった。いつかやりたいと思っていたので、自粛期間で、リモートワークで、家にいる時間がほぼ無限にある今しかない、と思い、ついに手を出した。これがすごくいい。最高だ。正直俺はいまマジでアクアリウムにハマってる。精神が安定する。

アクアリウム。要は水槽で水草を育てながら魚を飼うこと。景観やレイアウトにこだわり、フィルターや照明等の器具を設置し、水質に気を配りながら、縦横高さそれぞれ数十cmのガラスの箱庭を作る。それを維持する。ざっくり言えば園芸とペット飼育が半分ずつって感じの趣味だ。これがいい。たまらなくいい。

画像1

元々俺はゲーマーで、国取りや街づくりをする箱庭系のシミュレーションゲームが大好きだった。それも領地をどんどん広げたり他国を侵略して戦争に勝ったりするプレイじゃなく、ただただ自分の元々持ってる領地の維持に努めるという、いわば引きこもりプレイがとりわけ好きだ。

あと、結婚願望が強かった。いつか結婚して子供を一人二人作って父親になって、中年以降は子育てにリソースを割くようになると思っていた。だがまあ、いろいろと、いろいろとうまくいかなかった。主に俺の頭がおかしかったせいで駄目だった。詳細に関しては生々しい話なので省くが。
とにかく俺は人生におけるいくつかの取捨選択に失敗した。そしていい歳を迎えてしまった。そろそろ恋愛結婚や子孫を残す類の願望には折り合いをつけなければならない時期だ。そんな時にたまたま手を出したアクアリウム。この新しく始めた趣味は、元々持つ箱庭好き嗜好と、とっくに賞味期限の切れた“育てたい” “子孫を繁栄させたい”という願望にピッタリ当て嵌まった。

画像2

アクアリウムは小さな世界を作る行為そのものだ。自らの手により管理される数十センチ四方のガラスケースがその世界だ。その小さな世界の中を熱帯魚たちがせわしなく泳いでいる。いつの間に卵を産んでどこで孵化したのか直径1cm程度の稚魚までチョロチョロしている。コケ取り用に導入した小型のヌマエビや小型のナマズもタンクメイトの役割として以上に愛嬌を振りまいてくれる。過密気味に植えた水草のジャングルをすり抜けるように悠々と泳いだり、時には軽い小競り合いをしたり、隠れたりしながら生を営んでいる。俺の作った世界の中で生命の営みが起きている。勝手に繁殖して新しい命が生まれていくのがたまらない。夜、部屋を暗くして、適量のお酒でも飲んで、ほどよく酩酊しながら水槽の前に座ると何時間でも眺めていられる。

画像3

いい年したおじさんにまでなって色恋沙汰に必死になりたくない。若い女の尻を追いかけ回すなんて論外だ。「恋に年齢は関係ない」とはいうものの、それは建前の話であって、俺はやっぱり恋愛は若い人のするものだと思う。中年が色恋沙汰で周り見えなくなってる姿は見苦しい。それに心は経年劣化する。若い人は心の回復力も強い。多少の痛手を被ったからといって数ヶ月も経てばケロっと立ち直れる。でも歳を取ると失恋や喪失の痛みになかなか耐えられなくなる。俺は一度相手を好きになると相手にとことんリソースを注ぎ込む“重い奴”だから尚更ひどい。相手に迷惑をかけるし、何よりそういう自分はとてもみっともない。

画像4

もう、そういうのは終わりにしようと思う。誰を好きになろうが、誰かが離れていこうが、俺はもう自分の領域から外に出ることはない。その代わり、叶わなかった幻想の残滓をガラスケースの向こうに注ぎ込んでいる。それでいいと思う。なんせアクアリウムの世界では俺こそ万能の支配者。いわば神だ。俺はこの数十cm四方の箱庭の神。生殺与奪の権利も責任もすべて担っている。だからこそ皆がより良く快適に暮らして長生きできるようにしたい。魚やエビが本当に可愛くて、細やかなメンテナンスも掃除も苦にならない。

画像5

恋とか愛とかもういい。いいんだよ俺は。これからは好きなことをして、好きなものにリソースを使って、一人の世界を楽しんでいく。そういう余生を望んでいたわけじゃないけど、まあ、それはそれで悪くないんじゃないか。流行り病に関連する一連の流れで“ひとりでいること”が見直されつつある昨今だ。相対的な価値観にあまり振り回され過ぎないよう自分自身を律しながら、自分の好きなものにリソースを注ぎ込み一人で生きていく、そういう生き方も精神的な意味での“ゆたかさ”なのではないか。最近アクアリウムを始めて、自然な形で少しずつそう思えるようになった。

Twitter:https://twitter.com/haru_yuki_i