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私の身体を生きている

『私の身体を生きる』女性作家17人によるエッセイ集。
それぞれのエピソードが興味深く、読み応えがある。けれどすごく共感できる一本があったかというと、そうでもない。
私はほかでもない私の身体を生きているのだから当然かもしれない。そして私も私の身体について書いてみたいと思った。

私の身体、33歳女性。26歳のときに長女、29歳のときに次女を産んだ。

私の身体のコンディションは出産前と出産後に大別される。正確に言うと長女妊娠前とそれ以降である。
ここでいうコンディションとは、体調面もあるが、「女としての価値」という意味合いが強い。それは性的魅力、平たくいうと若さや美しさである。

長女妊娠前、つまり20代前半までの私は、女としての価値にけっこう自信を持っていた。顔面ガチャで中吉あたりをひいた自覚はあり、平凡な両親の顔面からいいとこ取りをしたことに感謝である。
田舎で育ったので井の中の蛙であったことは否定しないが、高校くらいまでは学年いちのアイドルにはなれないけど一桁にはランクインしていたかもしれない。目鼻立ちがはっきりしている方なので、ハーフなの?としょっちゅう聞かれた。もちろん純ジャパニーズなのだが、ハーフなの?は褒め言葉としてありがたく受け取っていた。
しかし高校生までは勉強と部活動に全力で、まともに恋愛をしないまま時が過ぎた。数人から好意シグナルを感じてはいたが鈍感なふりで受け流していたように思う。そして大学生1年生のときに付き合ったのが今の夫なので、男性経験がほぼ1なのである。さらに残念なことに夫は淡白人である。

その後20代のうちに2人の娘を産み、私の身体にあった女としての価値は急速に失われた、というより娘たちに吸い取られたと思っている。
老化とともに放っておいても女の価値は衰えることは承知しているが、私の感覚では子どもに分け与えたというか、母乳を通じて搾り尽くされたという感じである。長女出産後は半分になったと思ったものが、次女出産後には空になった感じがした。そして私はいま搾りカスの身体を生きている。

これまで女性版人生すごろくのクリアを急いできたけれど、結婚妊娠出産、の先にまだマスが延々と続いていることに想像が及んでいなかった。そこにあるのは日常という何も書かれていないマスと子ども関連のイベントマスのみであり、もう女としてのイベントはない。あるとしたら離婚や再婚という分かれ道だけだろう。不可逆な長い道のりをこれからも搾りカスの身体で進まなければならないと、あとになって気づいたのだ。それでもサイコロを振り続けるモチベーションをどのように保てばいいのだろう。

ひとつ気づいたことは、私の中の女の価値が減少しても、性欲が同じように減るわけではないということだ。前述の通り夫は淡白人でほぼレスであるが、私はそれに納得していない。しかも私の経験はほぼ1というか正直1であり、黄金期に遊ばなかった後悔からの冒険したい気持ちを倫理の観点で押さえつけているとも言える。
もう少しぶっちゃけると私はパンセクシュアルの気質もあると思う。高校生の頃にFtoMトランスの先輩に告白されたことがあり、その時は断ったけど、自分の好みにあうなら付き合うのも全然ありだと思っていたし、女の子同士でハグの機会もあったけど、今はそういうことから遠い。そんな機会は日常の中には落ちていない。

消化不良のうちに搾りカスとなった私の身体で今日も人生すごろくのサイコロを振る。どこかにイベントマスがあることをかすかに期待しながら。






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