見出し画像

#90 誰かから見れば。


この春嘘も90回を迎えて、
90回書いては出して書いては出して


それを繰り返した。



誰かから見れば、たったの90回


誰かから見れば、90回も



今日のキーワードは、この言葉



"誰かから見れば"





今の世の中、この言葉でどんどん複雑になる。



趣向的なこと。


権利的なこと。


差別的なこと。



宗教的なこと。


政治的なこと。



誰がどう見るかで大きく変わる。


最近の出来事はそんなことばっかりだ。


動物を愛護することは非常にいい事。

それが牛、豚、鶏を食べる人が悪にはならない。


ただ、食べない人の言い分としての
食用処理する時に残酷な工程が入ること。


そこに、残虐さを感じるのは理解出来る。


ただ今まで文化として続いてきた。


八百万の神の信仰を持つ日本においても
遥か昔から飼育や狩猟で続けてきた文化だ。


ただ、日本の文化では食事の前に


「いただきます」



この一言が入る。


感謝の言葉。



ただ単にありがとうではなく、
この一言に多くの意味が含まれている。



目の前に並ぶ食材たちに感謝。

植物も動物も等しく命をいただく。


どちらも神が宿るものだからこそ。


他には、作った人への感謝。
出してくれた人への感謝。食事ができること。
また誰かと食卓を囲めることに対して……



食べない人からしたら感謝してるから
食べないんやろがい!ってことだと思うんやけど



世界には宗教上食べられない物がある人がいる。



それは、確かに表面上は同じかもしれないが

精神面や考えは全くもって違う。




食事は分かりやすい例だろう。




他にも目線が変われば意見が変わる。

意見の捉え方も変わる。





炎上するような意見だったり


極論のようにも
感じられる意見だったりを見た時に



おそらく憤りを感じるだろう。


その時は1度落ち着いて。
自分の中の全く違う目線からみて


なんなら相手の土俵で考えて


それでもおかしいと感じたら
優しく声をかけてあげよう。




優しくね。




以上!それでは👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?