国際スポーツ大会の国歌を流すシーンを見て感じた、国と個人の関係

2021年この夏は、
 UEFAサッカー欧州選手権
 ラグビーのテストマッチ
 オリンピック/パラリンピック
など、私には珍しく幾つかのスポーツの国際大会の放映を見ています。

その際、各国の選手の姿を垣間見て、「国民である」ということについて感じたことがあります。もやもやしているので、うまく言い表せられるか分からないですが。
# 一部を見ての個人的感想なことをご承知おきのうえ読んでいただけるとありがたいです。

1. 国歌は胸を張って歌う姿が胸を打つ
2. 選手入場行進の態度から期待度と現実の差を知る
3. オリンピック開会式で''台湾"がタ行で入場した意味を思う
(上記、2. と 3. はタイトルとは関係ないですが、ついでに書きます。)

まず、1の国歌について。

7月上旬に、ラグビー国際大会がダブリンで開かれました。カードは、アイルランド vs. 日本。
試合前に国歌を流す際、それぞれの国の選手の態度の違いが目につきました。アイルランドは全員が大声で熱唱。対する日本はアイルランド勢に比較して非常に控えめな態度(←うろ覚えなので詳細は省きますが、強烈な違和感を感じたことは確か)。もちろん歌っている方もいらっしゃいましたが。。。。

確かに、日本チームにとってアウェーの中、大声では歌い辛い状況であったかもしれません。それに君が代は、試合に向けて気持ちを盛り立てるような猛々しいメロディではありません。それでも、胸を張って大きな声で国歌を歌う姿の方が自信に満ち溢れて見えます。私は好ましく思います。

さてもう一つ、オリンピックにおける、アイルランド国歌に関するエピソードを書こうと思います。Tokyo2020で、アイルランドは2種目で金メダルを獲得しました。表彰台のメダル授与の光景と共に、国旗掲揚とアイルランド国歌が流れるシーンが、アイルランドの国営ニュースで放映されました。アイルランドの解説者は、「オリンピック表彰台で我が国の国歌が流れています!」と感動的に実況中継していました。私としては、「国歌が流れることに、ここまで高揚するものなのか」という、新鮮な驚きを感じました。

アイルランド島内で、南北に分断しているアイルランドでは、国歌制定もいろいろとあったとどこかで読みました。その点を鑑みると、アイルランド国民にとって、オリンピックでの国旗掲揚と国歌が流れる場面は、歴史を包括した非常に重みのあるものなのだと推し測ることができます。

国歌を堂々と歌う姿、国旗と国歌へ敬意を表す姿に、ただただ感銘を受けました。

さて、我が身に立ち返ってみると。
君が代は、補習校の入学式・卒業式で大人も歌う機会があります。私自身、もっと大きな声で歌えるはず。次の式典の際は、大きく歌いたい。
でも、歳の所為か、高音がもう出ないのが難ですけれど(もともとアルトだし)。

話は飛びますが、君が代は、何調なのか気になったのでググったところ、YouTubeのよしたく先生の音楽室に説明がありました。
壱越調(いちこつちょう)という雅楽を基にした調とのこと。
長調短調以外の分類があるのですね。
何短調なのか、と、いつも考えながら歌っていたので歌いづらかったのですが、全く別物と分かり、個人的にすっきりしました。雅楽の世界も、学んでみたいことの一つです。

2つ目、オリンピックの選手入場行進について。

まず、入場順に良い意味で驚きました。ギリシャ、難民選手団の次は、Aだからどの国だろうと考えていたら、予想外のアイスランド。そして次はアイルランド。
この日本の「かな順」の行進を決めた運営は、本当に素晴らしいと思います。

入場行進は各国の特徴が垣間見れる、私にとって一番楽しみなイベントです。心に残ったシーンは以下。
・アイルランドは、入場時に全員がお辞儀。嬉しい!
・北国は、隊列を崩さない国が多い。気候が人柄に影響するのか?
・南米や島国は、個々人が本当に楽しそうに歩く。こちらまで楽しくなる。
・日本は自由気ままな歩き。南米と違い何かが違う。。。何だろう?

私が気になったのは、隊列を崩して歩いた国の中で、綺麗に見える国とそうでない国があったこと。前者は南米各国、後者は日本。その理由を考えてみましたが、
・そもそも選手団の人数が違うため、大人数の日本は雑多な印象になる?
・「日本=規律を守り何事もきちんとする国民性」という無意識のフィルタがかかっており、その期待と外れていたため余計に目についた
ということかな、と現時点では思っています。

もう一回、入場行進を見直してみたい。新たな気付きがあるかもしれないから。もう、見れないのかな。

最後に、3.台湾の入場行進について。

中継を四六時中張り付いてみていたわけではないのですが、台湾の時は運よくリアルで見ていました。最初に、プラカードに書かれた英語表記に「ん?」と注視。台湾は英語表記では、Chinese Taipeiということ、恥ずかしながら知りませんでした。
アイルランドで放送された実況中継では、日本人の男性アナウンサーが「Taiwan」と読み上げており、良い瞬間を目にすることが出来た、と思います。

以上、ここ最近の国際大会で感じたことを書き連ねてみました。

結局、何が言いたかったかというと、自身の存在と国を結び付けるということは自然なことなのだろう、ということです。所謂ナショナリズムとは別の次元で。
日本では認められていない重国籍も、世界的には広がってきています。選択肢は各人にある。自身がどの国の国民として生きたいか、という意思が、国歌への敬意や想いに表れているのかもしれない、と、勝手ながら想像しました。

次はパラリンピックですね。
どんな発見があるのか、楽しみにしています。

ここまでお読みくださりありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?