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神への冒涜

ワクチンについての情報を集めるうちに、それに関連して免疫についても興味が出てきたので、最近ちょっと勉強している。

そのせいか、この前奇妙な夢を見た。
宇宙船のような部屋で色鮮やかに光るパネルを使いながら、人体がいかに素晴らしいものなのかを、誰かに力説されていた。
細かいことは覚えていないけれど、緻密で完璧なシステムのもと、留まることなく動くそれらは、とにかく美しかった。
本当に私たちは、神の御業とも言えるべき驚くほどのシステムとバランスによって生かされている。そのことを実感した、妙に印象的な夢だった。

「本来備わっているものを尊重し、それを最大限に生かす」
本当は私たちは、その視点をベースにすべてのものごとを組み立ててくれば良かったのだ。
それは体に対してもそうだし、私たちに関わるあらゆることに対しても。

それがいつの間にか人間たちは、自分の手ですべてをコントロールしなければならないような錯覚を起こし始めた。
消費主義社会に浸されながら生きる私たちは、巷に溢れるマーケティングの渦に翻弄され、欠けていると思い込まされた部分を埋める必要性にいつも苛まれている。



特にこのワクチン禍で、その洗脳がいかに深いものなのかを思い知った。
そしてその洗脳を、うまく手玉に取った人たちがいた。

RNAのDNAへの逆転写の可能性を聞いた時、当時それは、難病を治せるような技術につながっていくのではないかと、なんとなく勝手にそんな希望的な印象を抱いていた。
新しい発見や技術は、本来そういうことに役立てるべきもので、今回のワクチンも、ただ利権や金の為なのか、それとも他に何か意図があるのかはわからないけれど、少なくとも人間が自己を過信してしゃしゃり出過ぎた、神への冒涜とも言える行為だと私は思う。
PCRだって、本来は感染症の検査に使っていいものではないはずだった。


Twitterで、「人間の体は完璧なんだ」とつぶやいた人がいた。
私もあの夢の情景を思い出す度に、人体が持つその美しい完璧さに、敬意のような気持ちが湧いてくる。

人間社会が仕掛けてくる、「欠けてるゲーム」から脱却すること。
それは容易なことではないかもしれないけれど、少なくとも体はいつでも、「自分は不完全でダメなんだ」と落ち込む私たちを、その完璧性でもって全力で支えている。

自分に完全に自信が持てなくたっていい。
けれど、どうかその体に対する敬意だけは、いつでも忘れないでいてほしい。

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