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まわりと比べることはやめられないから比べたあとの思考を変えてみる

昔から、まわりと比べて生きてきたなという自覚がありました。

学校の成績とか、学校のランクとか、仕事の出来とか、役職とか、年収とか、貯金額とか、一定の基準のあるものから、自分の能力とか、性格とか、友達との関係性とか、生き方とか、一定の基準では図りづらいものまで。

比べてるときの自分はすごく嫌でした。比べることで一喜一憂して、ちっちゃい人間だな~と思いながら、それでも心のどこかで比べてしまって、また自分が嫌になる、という負のスパイラルでした。

「人にダメだと思われたくない」とか「人に認められたい」とか、そういう欲求が強いのかな、と思いました。

年を重ねるにつれてその気持ちは少しずつ薄れてきて、自分のやりたいことをやりきろうという思いにシフトしていきましたが、やっぱりまだ比べてしまう部分があります。「比べる」ということは20年以上染みついた思考で条件反射的に考えてしまうところがあるから、そう簡単にはやめることはできない。なので!「そうか比べたあとに自分が何をすべきでどう考えるか」のほうが問題なのではと思い、考え方を変えてみようと思いました。(考え方をやめることはできないけど変えることはできるかも。)

そもそも比べることは悪いことではないんじゃないか

比べることのポジティブ面:自分のポジションが分かって、向上心に繋がる。「この人みたいになりたい」という目標ができる。

比べることのネガティブ面:「自分はまわりと比べて全然できていない。ダメな人間だ」と、今できていないことに目を向けて辛くなってしまう。

わたしは、このネガティブの側面の思考が強かったきがします。この思考が、自分が嫌になる諸悪の根源では、と思いました。

「今できていないから自分はダメだ」という思考はとっぱらう。

①比べることで、自分の今できているものや足りていないものを知る。

②できているものは、「どうしたら今の自分よりさらにできるようになるか」を考える。足りていないものは「どうしたら周りに追いつくことができるのか」を考えて、実行する。

こうすれば、自分がもっと楽しく努力ができるし、周りに追いついたときの達成感とかもあるし、自分の能力も上がっていくだろうし、理想の自分に辿りつけるのかなあと思いました。

周りと比べて劣等感を抱くというのは、周りをうらやましいと思っていて、自分もそうなりたいと思っていて、ようは自分の理想像なんだと思います。

じゃあ「ダメだダメだ自分はできない」と思うのではなくて、少しでも出来るように考えていくほうが、比べさえするも負の感情はなくなっていくんじゃないかなと思いました。

周りのひととは生まれた日も育った環境も顔も体格も思考も違くって、自分と全く同じ人生を歩んできた、みたいな人は一人もいないと思います。もちろん人生の終わりのタイミングも違うだろうし、そんな中で、今の自分と、よくわからない他人の人生のあるポイントとを比べて一喜一憂するのはどうかと思いました。

なぜ「他人にダメだと思われたらどうしよう」と思ってしまうのか考える

その人にダメと思われたときや、認められなかったときの自分の人生への影響度を考えていけばいいと思いました。

ただ単に自分の承認欲求が満たされないだけだったり、八方美人のためであるのなら、大して影響度はないんだと思います。

もしも、自分の給料に関わるとか仕事が無くなるとかだったら、影響度は多少なりともあるのかなと思います。ただ、その時点でダメだと思われたとしても、そこから何かができるようになったりしていけば加点式でプラスに捉えられるだろうし、どんなに努力してもダメだと思われ続けてしまう環境であれば、少し環境を変えてみるとか、他の人の視点や意見を取り入れるとか、やり方や考え方を変えてみるとか、直進だけではなく、斜め前にいってみるとか、していく必要があるのかなあ。


最後はよく分からずの、自分のモヤモヤ思考の整理でした。


おわり。

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